March 25, 2012

国際機関に勤める日本人のジェンダーバランス。


途上国に勤務したり、途上国に出張したりすることが多いのですが、そういう国でお会いする日本人は国連など国際機関に勤務されている方が多いです。そして、そういう仕事をしている人たちには圧倒的に女性が多いんですよね。男性が珍しく見えるくらいに。

国連機関職員への道として知られているJPO試験の合格者も圧倒的に女性が多いそうで。

際機関で途上国勤務というと、「困っている人を助ける」という仕事が多いので、「母性」と親和的だから女性が多いというのもあるのかもしれませんけど、話を聞いているとどうもそれだけでは説明できません。あるいは、以前よく言われていましたが(今でも聞かれますが)、実は男性の方が臆病で女性の方が肝が据わっていて逞しいからだとか、女性の方が異文化に柔軟に適応できるからだとか、はたまた外国語を学ぶのは女性の方が得意だからだとか、男女の性差の特徴だけにその理由を還元してみても、それだけではないような気がします。

むしろ女性が多い理由は日本の労働慣行、社会の倫理観にあるように思います。北海道大学大学院教授の山岸俊男氏が、日本社会は実はリスクが大きいという話をよく書いていらっしゃるのですが、それが理由の説明になるんじゃないでしょうか。

山岸先生のお話は、ものすごく要約すると、日本ではまだまだ正規雇用で定職に就くことが「よいこと」と考えられていて、その道を外れると再起が難しく、仕事の仕方や生き方を自由に選ぶことのリスクが高いという趣旨なのですが、これは特に男性の方に覆いかぶさっている世間の「空気」です。

女性には結婚なり出産なりで適当なところで退職し、子育てが落ち着いたらパートタイムで働きに出る、という古典的なイメージがあって、仕事を辞めてもそれで社会から落伍したとかいうようには見られません。ところが男性は、今でこそ違う意見も聞かれるようになってますけど、それでもまだ正規雇用でちゃんとした会社に勤めるのが当たり前という考え方は消えた訳ではありません。結局、経営者かフリーランスか、あるいは最近よく聞くノマドで食っていけるような才能がある人でない限りは、社畜の道を選ぶか、そこから脱落してワーキングプアか引きこもりになっちゃうか、という極端なパターンしかないように見えてしまっています。

国際機関の仕事というのは、基本は有期契約です。ポストに応募して、数ヶ月から数年の仕事を得る。そして契約が終わる頃に次のポストを見つける。そういう契約を繰り返していく働き方です。ジョブ・セキュリティ(職業の安定性)という観点からは不安が多い働き方に見えます。そして、この働き方は日本人男性の今までの働き方の常識からすると、受け入れ難いほどリスクが高いと映っているのではないでしょうか。

日本は、特に男性の場合、余程の才能がある人でもない限り、転職したり起業したり、職業人生の中で何かチャレンジをすると、それが失敗した場合のリスクが高過ぎる社会です。それが当たり前と思っている世界から見ると、23年おきに契約満了を迎え失職するような働き方は、リスクが高過ぎてとてもじゃないがやってられないと映るかもしれません。あるいは本人が納得していても、親や家族がいい顔をしない。

典型的だったのが、国際機関の途上国にある事務所で、日本でサラリーマンやってるより相当高い待遇を得て母子保健の専門家として働いている人が、未だに親から「いつまでフラフラしてるのか。いい加減にちゃんとした仕事を見つけて落ち着いたらどうか。」と言われると話していたことでした。契約を繋いでいくような働き方が「ちゃんとした仕事」とは思われていないのです。「ちゃんとした仕事」に就けなくなるリスクが高くなるから、早くそこから足を洗えと言っているのです。

実際には、有期契約の契約期間が満了したら次のポストが見つかるか、あるいは民間や政府機関の仕事に就くか、さらには大学院に行ってみたり、しばらく仕事に就かず主婦・主夫で子育てに専念したり、自分の事業を始めてみたり、まあみんなそれなりになんとかなっているんですけどね。

国際機関で働くという選択は、複線的な生き方を選ぶことになりがちです。しかし、日本人男性は、どこかに就職して勤め続けるという単線的な生き方を標準的とする見方がまだまだ根強くて、国際機関での仕事に挑戦しにくいのでしょう。女性の方がそういう束縛からはより自由だったので、結果、国際機関にいる日本人は女性ばかりということになっているんじゃないかと思うのです。

国の雇用政策は、相変わらず労働者の正規雇用化を促進させる方向で、会社が正規雇用を維持すれば補助金まで出すようなことまでやっています。安定した正規雇用が正しいのだというメッセージを出し続けているようにも見えます(安定しているのかどうかは大いに疑問ですが)。

正規/非正規の区別の意味がなくなり、仕事を辞めても辞めさせられてもそれでたちまち食い詰めるということがなくなり、解雇もしやすいが転職もしやすい、そういう雇用環境が当たり前になる時代がこないと、国際機関で働く日本人男性は増えないんじゃないかなぁと思う次第です。



追記:
選挙で選ばれるような国際機関の上級幹部や機関代表の職についてはまた別の話です。各国政府が候補者を立てて選挙に挑み、日本の場合は候補者に高級官僚、大学教授、財界人等が選ばれることが多く、男性の方が多くなりがちなようです。

March 24, 2012

交通の要衝は大きな街だという当たり前のこと。

縦横1mくらいの大きな南部アフリカの地図を見ているんですけどね。

血管のように道路が走ってて、その中でも特に重要な幹線道路は赤線で描いてある。南部アフリカを覆う赤い網みたいに見えます。そして、ところどころに網目の結節点がある。いくつかの幹線道路が集まる点。そこはたいてい大きな街です。

ひとつの点(街)に何本の赤線(幹線道路)が集まっているか数えてみた。

赤線が5本集まっているところ。
*ヨハネスバーグ・プレトリア(南アフリカ首都圏)
*ナイロビ(ケニア首都)
*ハラレ(ジンバブエ首都)

赤線4本。
*ウィンドフック(ナミビア首都)
*ハボロネ(ボツワナ首都)
*ルサカ(ザンビア首都)

赤線3本。
*キンシャサ・ブラザビル(それぞれコンゴ民とコンゴ共の首都。河を挟んで隣接。)
*キガリ(ルワンダ首都)
*カンパラ(ウガンダ首都)
*ブジュンブラ(ブルンジ首都)
*ダルエスサラーム(正確には赤線2本+国際港。タンザニア首都)

南アフリカには首都圏以外にも赤線が集まる点(ケープタウンとか)が複数ある。

南部アフリカの地理感覚がない方々にはピンとこない話で恐縮ですけど、赤線がたくさん集まるところ、要は「交通の要衝」が首都になってるところが多くて、しかも集まる赤線の数がより多いところが、より格上の街になっているように見えます。

道路が集まるから街が栄えるのか、街が栄えるから道路が集まるのか、まあどちらもあるんでしょうけど、道路網というインフラが経済発展には重要なんだなあと改めて気づきます。

March 11, 2012

経済が崩壊するっていうこと@ジンバブエ。


ジンバブエの首都、ハラレに滞在しています。

この街は、アフリカにあるたくさんの発展途上国の首都とは違う特徴がひとつあります。アフリカの多くの国が破綻国家とか「後発」発展途上国とか言われ、ジンバブエも今でこそそのカテゴリーに入れられてしまってますが、ジンバブエ、そしてハラレは、一度はそのカテゴリーを脱し、中進国だった時代がある場所なのです。

1980年の独立以降、80年代から90年代にかけては、宗主国イギリスが残した都市基盤や行政機構がほぼそのまま残され、ヨーロッパ系市民も居残り、農業、鉱業、製造業、サービス業がバランスよく栄える国でした。周辺国が干ばつ被害に遭っていても、整った灌漑設備による近代農業で穀物を輸出し、「アフリカのブレッド・バスケット(パン籠)」と呼ばれていました。首都ハラレは緑深く、中心部は碁盤の目状に道路が整備され、およそ一般的に思い浮かべる「アフリカ」とは思えない街並だったはずです。むしろ、オーストラリアやニュージーランドに近い趣だったはず。

それがやがて雲行きがおかしくなり、失政と腐敗が国を蝕み、2000年代に入って急降下、2008年〜2009年頃にかの有名な天文学的ハイパーインフレに陥って最終的に破綻しました。

私が初めてハラレに滞在したのは2009年4月。ハイパーインフレの結果、自国通貨ジンバブエ・ドルが破棄され、米ドル等を使う外貨経済に移り変わろうとする頃でした。最悪の時期は終わり、最低限の物資は再度出回り始めた頃でしたが、ショッピングモールらしき場所は閑散として廃墟のようで、市内はどこも薄汚れて荒れていました。

街灯は折れ曲がり、道路は穴だらけ、信号も切れているところが多い。商店はどこも古びて閉まっているところが多く、開いていても品数は限定的。電気の供給が不安定になり停電が多発、上水道も供給されなくなるところが増え、火事になっても消防車も来ない。街角に立ってぐるっと辺りを見回してみると、あらゆるものが何かしら破れ、折れ、錆び、剥がれ、割れ、色褪せていて、ピシッと新しいものがひとつもないという状態でした。

市内で一番、二番のホテルに行ってみると、元は立派なロビーだったと分かるものの設備の古さが目立ち、床や壁も色褪せ、あちらこちらがギシギシと軋み、頑張って清掃してもそれだけでは追いつかない老朽化が隠せない状態でした。高いビルに行ってもエレベーターが全部まともに動いているところはまずないし、やむを得ずヒィヒィ言いながら階段を上っていると、フロアごと打ち捨てられて廃墟になっている階があったりしました。

病院は建物だけはそれなりに立派でしたが、薄汚れてお世辞にも清潔とは言えず、なにより医者がいません。私はただ検査を受けに行っただけなのですが、それさえまともにできない。(こともあろうに私が提出した検便の検体を病院側が紛失したんですよ!)国外に逃避するだけの資金がある、逃避しても仕事を得られる能力がある人から国を出て行ってしまっており、医者などというのはその代表格。医療も崩壊に近い状態になりました。ヨーロッパに逃避した人も少なくなかったそうですが、内陸国で陸続きの国がいくつもあるアフリカ、そんなに裕福でなくてもジンバブエを見限って南アフリカ等の周辺国に移動した人が多く、1200万人といわれた国民のうち、一説には400万人が国を出たといいます。貧しい国にはストリートチルドレンや乞食が付きものですが、経済が動いていないので乞食さえいないという状況でした。天文学的インフレで政府はまともな予算を組むことさえできず、2010年になってやっと米ドルで予算案を作成する始末。それもとりあえず公務員に月100ドルずつ払う、という程度のお粗末なものでした。

浄水場は停電の上に必要な水処理用の化学薬品を購入できず、さらには老朽化した配管の修理もできず、きれいな水の供給が不十分になりコレラが流行しました。コレラなんて健康な大人であれば死ぬような病気じゃなく、脱水症状を防ぐブドウ糖液の点滴くらいできれば何とかなるはずなのですが、病院が機能していないので4000人以上が犠牲に。母子保健も悪化し乳幼児死亡率が上昇、もともとHIVの感染率それなりにある地域なのにARV(抗レトロウィルス薬)も入手できず、平均寿命が40歳前後に落ち込むという悲惨な状況になっていました。

*   *   *

あれから約3年。

製造業や農業の再興はまだまだですが、とりあえずお金は回り始め、人が戻って来て、あの廃墟だったショッピングモールの駐車場は満車、週末には渋滞ができるほどになりました。

自転車世界一周取材中」の「チャリダーマン」こと周藤さんがジンバブエの報告を書いておられて(「アフリカ諸国との格の違いを見せつけられたジンバブエの現状」)、今はまさにその報告のとおりなのですが、彼が「中心街にあるショッピングセンターと真新しいビル」と書いているものも実は途中で建設が止まって何年も放置されて、最近になってやっと工事がちょっとずつ再開されてなんとか見られるような姿になったもののようですし、品揃えのよい自転車屋があったという「Arundel Village Center」も、つい最近新装開店したもののはずです。

まだまだ医療はどうしようもなく、水も電気も不安定で、道路も穴ぼこだらけですが、店舗の改装や新規オープンも増え、やっと徐々になんとかなりはじめたという印象です。

(ちなみに、チャリダーマンさんとはハラレ市内でお会いして一緒に食事して、これまでの自転車旅の話など聞いたんですよ。興味深かったです。)

*   *   *

結局、経済なんです。

少子高齢化、人口減社会の日本では、「もはや経済成長を追い求めず、貧しくても心豊かな生活を実現する社会にパラダイムシフトを。」とか、縮み指向な意見を聞くようになりましたが、そんなのは幻想だと思うのです。

ジンバブエほど酷いことにならないとしても、経済が傾くというのはどういうことか、その一端をハラレで見ることができます。福祉や教育は真っ先に壊れてしまう。新しいものは生まれなくなる。生活に精一杯で深い思索は減る。それで心豊かにいられるでしょうか。

金さえ回り始めれば、相当のことは片付く。「お金で買えないもの」「お金に換算できない豊かさ」があるのは分かりますが、それもまずはお金が回っているから言えることだったりする。世の中、清貧を実践できる聖人ばかりではなく、心豊かな生活には元手が必要なのです。人に優しくするにも元手がいるのです。

ジンバブエは中進国の時代があり、経済を崩壊させた時期があり、今また徐々に息を吹き返しつつある状況です。極端な事例であることには違いないですが、数学やってて関数の性質を知りたい時に「0」や「∞」を入力してみると参考になるように、ジンバブエの事例は、経済の浮沈によって自分たちの生活がどう変わるのかを示唆してくれます。

経済成長をGDPで測るのがよいのか、一人当たりGDPで測るのか、GNIなり購買力平価なりを見るのが良いのか、そんなことはよく分からないのですけれど、でもとにかくお金は回していかないといけない、そんな当たり前のことに気付くジンバブエ滞在です。

February 26, 2012

中国「人」のアフリカ進出。

崩壊国家で名高いジンバブエの政府から2011年の1年間に国外追放された外国人は100人余りであった、というニュースがありまして、その内訳は予想どおりというか、ほとんど中国人とナイジェリア人だったそうです。

*   *   *

中国のアフリカ進出がすごい、という話をよく聞きます。たしかにすごい勢いです。ヨーロッパ人が100年かかってアフリカに進出した人数を中国人は10年で超えたとか、ほんとかどうか分からない噂もあったりで。

ジンバブエに在留している日本人は青年海外協力隊の人もいれて70人くらいだそうです。他方、こないだ聞いた話では、ジンバブエにある中国大使館が把握している在留中国人は4000人くらいだとか。中国の人口が日本の人口の約10倍なので日本人の10倍いてもおかしくはないけど、実に50倍以上。で、これでもすごい数だとは思うんですけど、現地の人に聞くと「そんなもんじゃないだろう。」という話です。中国大使館が把握していない中国人の流入がかなりあるはずだとおっしゃる。1万人は下らないだろうとしたり顔で言う人もいる。

私もこのところ縁あってジンバブエに滞在しているんですけど、たしかになんだか素性わかんない中国人がいっぱいいらっしゃる。現地語も英語もほとんどできない人とか。

アフリカではどこでもよくあるんですが、中国政府がアフリカ支援としてスタジアム、国会議事堂、道路、空港、博物館、そういうものを造ってあげていて、その見返りに鉱山の採掘権を得たりしている。で、その際、建築資材から土木作業員から一切合切中国から持ってくるんですけど、そんなことやって人と物の往来が増えて関係が深まり現地事情にも慣れてくると、アフリカの国が発注する公共事業を中国企業が受注するようになる。なんつったって安いし。あるいは中国企業とアフリカ現地企業(公営企業が多い)の合弁事業なんかが立ち上がったりする。

で、たぶん、ここからは推測ですが、そうやって政府や政府系企業の事業の一環としてアフリカに渡ってきた中国人が現地に居残ったり、あるいはアフリカに行った人の「つて」で一旗揚げようと商売にやってくる個人事業の中国人がけっこういるんじゃないかと思うのです。貿易ブローカー、中華料理屋、商店経営などがよく見られますけど、アフリカらしく農業やその関連の商売、さらには鉱業もあるように見えまして。

鉱業っていっても、オーストラリアとかで見られるような大規模に投資してやるやつじゃなくて、ごく小規模なものがアフリカではよくあるんです。砂金堀りに毛が生えたくらいのやつ。何を掘っているのか知りませんが、田舎の方に行った時に思いがけないところに校庭くらいの広さの「鉱山」があって、中国語の看板が立ててあるのを見かけたことあるし、採掘許可を出す役所の窓口は中国人が列をなしてる、という話も聞いたことありますし。

*   *   *

グローバル化の時代、特殊な技能がなく、高度に知的な仕事をするわけでもない一般労働者の賃金水準はいずれ国際的に収斂すると言われてますけど、たとえ日本の労働者が国内で食い詰めるようになっても、この中国人のアフリカ進出の様相がやがて日本人にも見られるようになるとはちょっと想像しにくいです。

いや、かつて日本人も南米に移住したし、アメリカに憧れて裸一貫で勝負、なんてこともあることにはある。でも、再び日本人が、商機を求めて個人で、あるいは家族や友人同士で「最後のフロンティア」アフリカに大挙して出て行くことはもうないんじゃないでしょうかね。日本はもうそこまで若くはないでしょう。

中国が急速に豊かになっているとはいえ、平均すればまだ一人あたりGDPは日本の10分の1、本国にいてはどんなにがんばっても芽が出ない人々もまだまだ多いんだろうと思うのです。それが、アフリカでうまくいけば、車買って広い家に住んで、使用人さえ雇うこともできる。そういう成功を目指してアフリカに来ている人が多いんでしょう。

そういう、アフリカにある中国大使館でさえ把握していない人の流れがあるのだと思います。アフリカ54か国に在住登録している日本人は合わせて7000人台です。そしてこれも明確な根拠のある数字ではないですけど、アフリカの中国人は100万人を超えているのでないかという話もあります。

中国のアフリカ進出の勢いがすごい、って中国政府・企業の進出や地下資源の獲得の勢いがすごいっていうのもあるけど、「人」の進出もかなり無視できない水準なんじゃないですかね。

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ちなみに、ジンバブエ政府から追い出された中国人は、ほとんどが無許可営業の飲食店、商店の経営者だったそうです。

February 11, 2012

動物に遭わないサファリ。


アフリカでサファリのガイドをやっている人が、日本人客を案内して面白い体験をしたというんです。

彼はそのとき、ウォーキング・サファリのガイドをやっていて、そのウォーキング・サファリというのはその名の通り、野っ原を自分の足で歩いて周って動物を見るというものなんですけど、そこのサファリではライオンとか大型動物が出て来たときの安全のため1グループは6人まで、という規則があるらしい。それ以上になるとガイドがお客さんの面倒を見切れなくなるという人数だそうです。

そこに、10人程のグループの日本人ツアー客がやってきた。それで彼が、2グループに分かれて、時間をずらしてウォーキング・サファリに行くようにアレンジしたところ、日本人客たちが何か相談している。で、日本人らがガイドの彼に告げたことが、彼にはすごく意外だったんですと。

「2グループに分かれて行って、片方のグループだけライオンが見れて、もう片方のグループがライオンが見れなかったらイヤなので、そのウォーキング・サファリに参加するのは止めます。」

いいとか悪いとかいう話ではなくて、同じ日本人としてこの感覚は分かるんだよねぇ。「結果の平等が保証されないという理由だけで折角の機会も無にする悪平等」とか、「相互監視と嫉妬の文化」とか、教訓めいた話をする気はさらさらないですけど、こういう結論を出してしまう日本人ならではの空気感は身に覚えがあります。

ガイドの彼とは、「いやあ、それが日本人のfairnessの感覚なんだよね。」と笑って話したんですけどね。

結局、その日のウォーキング・サファリはライオンとかゾウとか大型動物に遭遇する心配のないところにみんなで行く、というアレンジになったそうです。「そこも景色は壮大ですばらしいところではあるんだけどね」と彼は話しておりました。

しかし、動物に遭わないサファリって、ねぇ。

January 29, 2012

独裁で何が悪い?

大学で政治学を専攻したわけでもないし、政治史の本をよく読んでるというわけもないんですけど、日本人にしては中東やアフリカに住んだり出張したりが多くて「独裁」には縁がある方なので、それなりに考えることはあります。学術的には穴だらけの理屈なのでしょうが、体感的にはこんなふうに考えられたよ、という話をメモっておきます。

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独裁で何が悪いんでしょう?

アフリカや中東には正真正銘の独裁、独裁的な大統領、王制など、民主主義とは呼べない独裁的な統治をやっている国がたくさんあります。それで何が悪いのか。

悪くないと思うんです。ただし、統治が公正である限りは。そして国家権力が暴力的でない限りは。

プラトンだって、高い見識を持った哲人が私心を脇において国家を第一に考えて統治するような、為政者のノブレス・オブリージュに期待するような哲人政治をよしとしたんじゃなかったけ?ローマだって中国だって、善政を敷く賢帝の出た時代は幸せでした、と世界史の教科書に書いてあった気がする。

独裁者が有能で公正である限りは独裁って悪くない。そう思うのです。特にアフリカや中東みたいに、貧しかったり、国家よりも一族の繁栄の方が重要だったり、拮抗する派閥間の対立が厳しかったり、あるいはその全てがあったりすると、民主主義の実践は皮肉にも暴力や腐敗を生み、却って国を不安定化・弱体化させているように見える。

ただね、独裁を肯定するには、「統治が公正で暴力的でない限り」、「独裁者が有能で公正である限り」という留保が付く。そしてこれがどうしようもなく難しいんでしょうね。

為政者本人が優れていて清廉であっても、その権力を傘に着る大臣や官僚のすべてが公正で清廉などということはあり得ない。国家は為政者が一人で治めるには大き過ぎ、必ず統治の機構が要るんだけど、その機構はきっと利権に溺れ、縁故主義に走る。時に反対する者を暴力で潰す。

為政者が有能である、ってこの統治機構にまでその徳の威光を浸透させることができる、ということなのかもしれないけど、それはちょともう、哲人っていうか神の領域のような気がする。「絶対権力は絶対腐敗する。」という格言を持ち出すまでもなく、「よい独裁」って難しい。

そして、そこからがさらに問題。失敗した独裁者、独裁政権には、それを穏便に交代させる仕組みがないのです。武力弾圧される危険を冒してデモをやるか、出待ちして襲うか、いずれにしろ合法的に手続きに則って退陣させる方法がない。

有能で公正な独裁政権は悪くない。が、そういう独裁政権は滅多にできない。できてもやがて腐る。そして腐ってしまっても交換できない。

いろいろ問題があるし、完全無敵なシステムではないですけど、この一点で民主主義が優れているのだと思うのです。すなわち、民主主義は失敗した為政者を交代させる仕組みが内蔵されている。

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中東やアフリカを見ていると、欧米式の自由で公正な普通選挙を基本とする民主主義システムを強制するのは却って国を不安定化させ、暴力を誘発し、貧困を悪化させる側面があるようにも見える。といって、とんでもなくヤクザな独裁政権をのさばらせておくのも許しがたい。

どこまで為政者の無茶を許すのか。アジアでよく見られた開発独裁というのがそのひとつの妥協点なのか。あるいは、アフリカでしばしば見られる、族長や各勢力のドンが話し合いと妥協で方向を決め、たとえそれが非合理的な内容であってもその権威にみんなが従う「長老政治」的なものを認めることが解になり得るのか。またあるいは、中東諸国ではイスラム教を倫理の規範とすることで為政者の暴走に歯止めがかかると信じていいのか。

現に今生きている人々の日々の暮らしの安定と向上を目指すのなら、妥協点は厳格な民主主義と厳格な独裁主義の間にあるんじゃないのかなあと考えたりするのです。欧米的な民主主義は、それなりの豊かさを達成した後の導入でもいいんじゃないか、とね。

January 14, 2012

南部アフリカの物価高。

日本から見ると東南アジアの物価は一般に安くて、年金生活に入ったらクアラルンプールで悠々暮らしましょう、なんていう人もいたりするので、途上国の物価は日本より安いもんだという印象がありますが、そうでもないところがあります、という話。南部アフリカなんですけどね。


世界の生活費の高い都市ランキングでニューヨークや東京、モスクワやムンバイも差し置いて、アンゴラの首都ルアンダが一位になったというニュースとか、聞いたことありません?


高いんですよ、南部アフリカの物価は。


貧困問題が深刻で開発が遅れている南部アフリカ、物流やインフラが不十分で、物資の調達も難しければ、電気や水も安定供給されない。そんなところで健康で文化的な生活を営もうとすると、えらいお金がかかるのです。富裕〜中間層の人々や外国人が住宅を探そうとすると、単身赴任や夫婦2人用程度のところでも、ルアンダでは家賃が月4000ドルを超える水準だと聞きます。それが豪邸かというと、実は断水や雨漏りの絶えない家だったりする。なんてことないビジネスホテルが1泊400ドル、しかも料金前払いでデポジットしなくちゃいけない、とかいう話も聞きます。


日用品もみんな割高。先進国品質の物を持って来るのが大変で、途中でマージンもいっぱいかけるんでしょう、コーンフレークが一箱1000円、みたいな感じらしいです。で、必要ならばそこで買うしかない。他に行けば安い、なんてことはない。


要は貧しく厳しい環境なので、そこで先進国水準のものを調達しようとするとコストが掛かる、かつ、その供給が少ないので競争が働かない、ということで値段が高止まりしてしまう。


だったら、そこに参入して一儲けできそうな気もするんですが、参入しようにもビジネス環境が悪いし、リスクを取って参入するには市場が小さく旨味も少ない。なので、高い物価が放置される、という構造のようです。


中でもアンゴラは石油を産出するので経済が好調、ビジネス客の流入に対しマトモな住宅や物資の供給が十分追いつかないという事態になってとんでもない物価高になったらしい。


他方、南部アフリカで最も発展していて、もはや途上国とは呼べない水準に来ている南アフリカ共和国の物価が周辺国より安いというのも納得です。大手を含むたくさんの事業者がいて競争する大きな消費市場があるし、物流も通信もまともなので国際市場ともリアルタイムにつながっている。南アフリカの物価は日本よりやや安いと感じますよ。


じゃあ、南部アフリカの貧しい多くの人々はどうやって生活しているのか?


切り離されているのです。違うレイヤーで生活している。日常的に現金で買うものは、主食(トウモロコシの粉とか)、食用油、砂糖、あとはせいぜい携帯電話の通話料か、というところで、その他の消費が少ないのです。半分自給自足のような生活で、都市部とは大きく異なる生活です。同じ国の中、同じ国土の上で生活していながら、全然違う生活をしています。「格差」というよりは「断絶」という感じですよ。で、前に書いた「現実はひとつじゃない。」という状況にも陥るわけです。


アフリカ全体でGDPが年率6%成長、10億の人々が暮らすアフリカの時代は近いと言われますけど、この断絶、忘れられた人々をどう包含していくか、なかなか簡単な話じゃないと思いますよ、ほんと。

January 11, 2012

年末年始、一時帰国してました。



新しい1年が始まりました。


年末年始は約8ヶ月ぶりに日本に戻ったりで、盛りだくさんの時間を過ごしておりました。(で、寒い日本滞在の最終盤でカゼを引いてしまったのですが。)


前回の帰国は2011年3月下旬〜4月下旬の震災直後で騒然とした時期でしたが、今回はそれから半年以上の時間を置いてからの帰国で、この間の日本国内の空気の変化を肌で感じることができました。正月だったということもあるのでしょうが、新年を占うというか、世界はどうなる、日本をどうする、といった前向きの話も多くて、課題山積、見通し不良の中にも新しい社会への手がかりを模索する気概、新時代への胎動に気付く日本滞在になりましたよ。節電のための消灯が減って、見るからに「街が暗い」ということもなくなっていましたしね。


たしかにそう悪くはないと思うんです。ダメだダメだと嘆き、厳しい批判をすることが識者然としてカッコイイと思ってそうな鬱陶しい人も多いし、地震・津波の被災地域はまだまだ厳しい状況なので「大丈夫」などと軽々には言えないのは承知してますが、実際に東京や実家のある福岡に滞在してみると、拍子抜けするほどみんな元気。魅力的な人がたくさんいて、いろんな街があって、メディアも多くて、ネットも早くて、何気なく生活していても自然と入ってくる情報が多くて、刺激的。洗練されていて、清潔で、でも猥雑で、なんでもあって、おいしくて、快適。


文句や要求ばっかりでうるさい人々や、科学的根拠はないけど一般受けのいい言説におもねるマスコミ、そしてそれらを恐れて身動きが取れない政治、そんなのばかりが目立ってますけど、考えている人、行動する人もちゃんといて、言うほどどうしようもなくはない。インフラや市民社会も健全で力強く、日本の基礎体力はまだそこまで落ち込んでもないよなって思えた。


まあね、私がもっとどうしようもない国ばかりを見て来たということもあるでしょうが、それでも少なくとも日本は相対的にマトモな国である、とは言えるわけでして。


無邪気に現状を肯定しているわけではないのです。
課題、問題があることもこれまた事実なので、当然ながら手を打っていかなくてはいけない。混乱もあると思う。危険な兆候もある。対応に失敗して苦境に陥ることもあると思う。でも、それでも、時間は前にしか進まないんだし、これだけたくさんの人が前を向いて歩いているんだから、きっとそれなりのカタチにはなっていくんじゃないの?


なにポリアンナみたいな能天気なことを言ってるのと怒られそうですけど、年の初めはちょっと楽観的な気分の日本滞在でございました。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。

November 27, 2011

現実はひとつじゃない。

ニュースドキュメンタリーを撮影するフリーランスの人を表彰するRory Peck賞というのがありましてですね。

「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home

2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。

で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。

その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。

AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。

一方で。


このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。

どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。

その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。


ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。

しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。

要は、現実は複数あるのです。


家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。

*   *   *

しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。


November 12, 2011

地に足の着いた記事。

当地のネット環境はすこぶる悪くて、完全にダウンしてしまうこともあれば、つながってもやたらに遅かったり、開けないページが続出したりしてます。それでも、やっぱりネットがつながらないと今どきお話にならないので、オタオタするネット接続に膨大な時間を無駄にしながら、なんとかしのいでいる状況です。

*   *   *

それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。

たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。

大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。

ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。

*   *   *

私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。

そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。

ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。

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で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。




October 23, 2011

「職業に貴賤はない」の例外。


職業に貴賤はないという。名目はそうじゃないとただでさえつらい仕事で心が折れそうな人がくさっちゃうので、そう言わざるを得ないと思う。でも、尊い職業っていうのはあると思うんですよね。ひとつだけ例外的に尊い職業。

以下は、私の個人的な信条であって、正しいとか間違いとかいう話じゃないですので、気に入らない人は適当に無視してくれればと。

*   *   *

高校生の頃からぼんやり考えているんですけど、この世で一番尊い、貴賤でいえば「貴」の方の職業は科学者だと思うのです。それも応用科学じゃなくて、純粋科学、ハードサイエンスに携わる人々。

人間って、他の動物と違う頭脳という器官を持つ種として発生して以来、ずっと「我々は何者?」「この世界って何?」っていう究極の疑問を抱き続けてきたわけで、科学者っていうのは、その疑問に真っ正面から望んでいる人たちでしょう? 人とは何か、人類とは何か、生命とは何か、世界とは何か、という本質的な疑問に挑み続けてる。

社会っていうのは、私に言わせれば、そんな科学の営みを支えるためにあると言ってもいいくらいです。世界の優秀な才能と、少なくない資金を投入して人類の究極の疑問に望むためには、豊かで安定した社会が必要です。究極の疑問に臨む、選ばれた人々の尊い営みを支えるために、あらゆる社会の営みが必要とされている、そういうことなんじゃないかと。

こんな話をしていると、触れざるを得ない話題は宗教の話だと思いますが、私は、宗教は、科学が究極の問いに挑戦し続けている間、普通の人々が心穏やかに秩序ある社会生活を送るための仕組みじゃないかと思うのです。

星空を眺めたり、人の死に接したり、普通に社会生活を送っていても「我々は何者?」「この世界って何?」っていう疑問はときどき頭をもたげてくる。そして解けない疑問に心が乱されることもある。宗教はそんなときに、心の平安を得るための仕組みじゃないか? 宗教には社会倫理や、芸術、文学などを生み出す力もあるけれど、根っこのところは、答えのない理不尽な世界に生きて行く人々の、揺れる気持ちを抑えるのがその機能なんじゃない?

*   *   *

「科学 宗教」というキーワードでAmazonで検索したら和書だけでも1800冊以上ある。ここで私がちらっと書いてどうこうっていうレベルの話じゃないのは分かってる。

ただ、純粋科学のプロジェクトには可能な限り予算を割き、そこに世界で最も優れた才能の人々に従事してもらうのは人類の人類としてのライフワークであり、その最先端を行く科学者は「貴」の仕事をしている人々と看做してもいいだろうと思うのです。

*   *   *

そんな私は、10年以上も前ですが、物理学研究科で原子核物理を修了。でも、それ以上の研究生活を送るだけの才能が自分にはないことをそのとき自覚しましたよ。で、今、純粋科学とはおよそ関係のない仕事をしています。しかし、みんなが社会に参加してそれぞれの才能で社会をもっと豊かにしていくべき、そしてその中でも特別に才能に恵まれた人は純粋科学の世界に挑戦してほしい、そんなことを考えながら、明日も仕事に出かけるのです。

October 11, 2011

ヨハネスバーグ空港の話。

南アフリカの空の玄関口、ヨハネスバーグのO.R.Tambo国際空港。評判良くないです。南アフリカ自体が治安の悪いことで有名なので(といって、全土にわたって旅行者が外出できないほど荒れている、というわけではないんですけどね)、さもありなんという話ではあるんですが、とにかくヨハネスバーグ空港の良くないウワサ、聞いただけで本当かどうか分かんない話も多いですけど、とりあえず書いてみますよ。

まず、預け入れ荷物が紛失する、中身が盗られる件。空港職員がグルらしく、X線検査装置を使って金目の物が入っているスーツケースを特定しピンポイントで盗むという話です。私もやられましたよ。スーツケースを開けられて、お土産用の腕時計(安いヤツですけど)だけを抜かれました。腕時計の箱は残っていたのがまた腹が立つ。

空港職員がグル、というレベルではなく、シンジケートがあるとの話もあります。ビジネスとして一定の割合でスーツケースを盗っているのだとか。疑いのある空港職員を解雇しても、新規に雇用される職員がシンジケートにつながっているので改善しないらしい。

一度、イギリス系のコンサルト会社に空港での荷物のハンドリングの改善業務を委託したけれど、そのコンサル会社は途中で業務を降りたというウワサも聞きました。その理由は「命が危ないので。」だったそうです。

それで、乗客側の対抗策として、預け入れるスーツケースをプラスチックフィルムでぐるぐる巻きにすることが始められました。フィルムでぐるぐる巻きにすればスーツケースを開けにくくなる、開けようという気を失せさせるということで効果的なようです。が、あるときヨハネスバーグ空港を利用したら、前回までなかったフィルムぐるぐる巻き屋さんが空港内にたくさんできていてびっくりしましたよ。荷物の盗難、紛失に抜本的対策が打てていない中、とりあえずフィルムぐるぐる巻きサービスでお金を稼ごうというその魂胆がまた腹立たしい。。。

私の場合、ヨハネスバーグ空港を経由してジンバブエのハラレの空港で荷物を取り出す時に荷物が出てこず、出てきた時にはスーツケースに開けらた痕跡があって、そこで荷物のクレームをしたんですが、ハラレの空港の人が言うには、「荷物のことでクレームがつくのはほとんどヨハネスバーグからのフライトばっかり。ナイロビやアディスアベバからくるフライトではそんなにクレームない。」とのこと。やれやれです。


ヨハネスバーグ空港に着いたある乗客が、宿泊するホテルへの行き方を空港職員に聞いたら、その職員が悪党とつながっていて、行き先のホテルで待ち伏せされたという事件もあったと聞きましたねぇ。


それから、犯罪ではないんですけど、ヨハネスバーグ空港では自分のフライトのチェックインカウンターがどこか、非常に分かりにくいんです。電光表示板では2時間先くらいまでのフライトについてしかチェックインカウンターの番号が表示されておらず、それも表示板ごとに表示内容が違う。国際、地域、国内でなんとなく分けられているようにも見えるけど、徹底していない感じ。それで、広い空港をウロウロ探しまわることになるんですが、乗り継ぎ時間に余裕がない時はかなり焦ります。ときどき、空港職員やポーター風の人が教えてくれるんですが、言っていることが間違っていたり、教えたんだから金払えとすごまれたり。空港職員ではなくお目当ての航空会社の人に聞くのがいいんですけど、なかなか見つからなかったり、質問するにも長い列に並べと言われたりするし。はぁ。

それからそれから、空港自体の停電という経験もしましたよ。航空管制、チェックインくらいは予備電源でなんとか動かしたようでしたが、他は真っ暗。お店もキャッシャーは開かなくなるし決済もできなくなるしで、麻痺。私の乗った飛行機も2時間位くらい遅れて、しかも機長が「停電の影響で預け入れ荷物の仕分けができていません。当機にもお客様全員分の荷物が載っていないのは承知していますが、これ以上出発を遅らせることができませんので、離陸します。」とか言う。案の定、到着地で荷物は出てきませんでした。

しかしまあ、空の表玄関がこの調子で、よくワールドカップ(2010年)が開催できたものだと、違う意味で感心します。たぶんワールドカップの時は、国を挙げて治安維持と交通機関の秩序維持にがんばったんでしょうねぇ。

*   *   *

私自身は、15回くらいヨハネスバーグ空港を使っているはずですが、上記のように腕時計を抜かれたのが1回、空港の停電のせいで荷物が遅れたのが1回、普通に荷物が出てこなかった(2、3日後に出てきた)のが1回。百回は使っているはずの日本の国内線で荷物が出てこなかった記憶はないので、やっぱりトラブルの確率は高いですね。

これから南アフリカに行こうという人を脅かそうとかそういう気はないですし、すてきな観光地もたくさんある国です。それに、なんといってもヨハネスバーグ空港は南部アフリカのハブ空港です。上記の話も私が聞いた話ということで、ウワサの域は出ないです。しかし、何かと面倒の多い空港なのも確からしいので、利用される方は十分にお気をつけて、乗り継ぎの場合には十分に時間の余裕を持ってお出かけくださいませ。

October 09, 2011

ディズニーランドは夢の国。


消費者の王国、日本は素晴らしい。手に取る商品はどれもきれいで完璧だし、サービスは快適だし、単純に素晴らしいと思う。その「行き届き」の水準は世界中どこにもないもので、すてきです。日本に帰るたびに、日本は素晴らしいとつぶやき、日本人でよかったと感謝しますよ。

*   *   *

だたね、その消費者の王国はみんなで作った王国であって、王国の王様気分を味わう人と、王国の僕(しもべ)は同じ人なんだよね。

ディズニーランドとは違う。あそこは、お客様が王様気分を味わい、ディズニーランドの従業員があなたに尽くしてくれる。でも、なんだか、消費者の王国とディズニーランドを混同している人がたくさんいる気がするんです。

すべての製品、すべてのサービスが、誰かによって完璧なものとして提供されているべき、国が、役所が、企業が、誰かが完璧なしっかり仕組みを動かしているべき。マスコミもそれに乗っかって、もっと国がしっかりしてなくてはいけない、もっと企業は責任を持たなければならないと書き立てます。そしていろんな不都合や理不尽を国の、役所の、企業の、自分じゃない誰かのせいにする。

それじゃもう、回らない時代になっていると思わない?王国は広がりすぎて、以前のようにすべてをお金で解決することはもうかなわないし、王国の進歩も早くて、誰かが「しっかりとした仕組み」を作るのをいちいち待ってはいられないし。

すっきりした結論があるわけじゃないけど、王国のお客様気分で生活し続けるのは無責任だし、それはまた今の時代を生き延びるにはリスクでもあるんじゃない? 僕らは王国の王様であって、同時に僕(しもべ)。ディズニーランドのお客様とは違うんだよね。

だからディズニーランドは、現実ではない、という意味でも「夢の国」なわけでさ。

October 02, 2011

サファリの宿。


ジンバブエで観光客が来るといえば世界三大瀑布のひとつ、ヴィクトリア・フォールズ。しかし、ジンバブエという国の評判が世界的にはすこぶる悪いので(2009年2月までで終わったハイパーインフレの話がまだ語られてるし)、観光旅行は南アフリカからヴィクトリア・フォールズに直接飛行機で入って、また飛行機で帰ってくるというパターンが多いようです。

しかし、ヴィクトリア・フォールズを含めてジンバブエには5か所のユネスコ世界遺産があって、先日はそのひとつ、マナ・プールズ国立公園に行ってきました。ザンビアとの国境、ザンベジ川沿いの動物保護区です。タンザニアのセレンゲティなんかに比べたら動物の密度は低いようでしたけど、それでもゾウやカバやバッファローの類は見飽きるほどいます。そして豊富な水量があるザンベジ川の水辺というのがきらきらした景色でよかったですよ。





ジンバブエの首都ハラレから車で6、7時間、ヴィクトリア・フォールズからも同じ位かかると思われ、しかも4WDじゃないとアクセスできないし、雨期になる11月〜3月は4WDでもアクセス不能になるので多くのロッジが閉鎖するし・・・、ということで気軽に行くことはできないですけど、その分、行けたらスペシャル感が倍増。

私が泊まったのは、ザンベジ川からはちょっと離れた森の中にあるロッジ。けもの道を自動車が通れるように広げただけの悪路を、「○○km北に進んだら左に折れてさらに西へ△△km・・・」みたいな地図とGPSを頼りに進むのですが、本当にこの先にロッジなんかあるのか?と不安になるばかりの道のりでした。後続車も対向車もなく、日本だとラリー大会にでも出場しない限りはまず必要とされることはない運転テクニックが要求される森の中の細い悪路を進むと、一番上の写真のようなロッジのレセプションが現れてほっとした、という次第でございます。

マナ・プールズの「マナ」は現地語で「4」という意味で、乾期には川の周辺の湿地が4つの池を残して干上がってしまうことから「4つの池」ということでマナ・プールズと呼ぶらしいのですが、そのロッジでは乾期には干上がる窪地にポンプで少し水を汲み上げ、その周りに宿泊用のテントを組んでいました。テントといっても、ウッドデッキの上に張った大型のもので、中には清潔なキングサイズ・ベッドにサファリっぽいテイストの調度。半屋外に作られたトイレは水洗で、シャワーもたっぷり温水が出るし、デザインは現地の自然素材を活かしたアフリカ風。どうしてこんな辺鄙な森の中にこんなもの用意できたんだろう?って不思議なくらいの贅沢さでしたよ。

で、ポンプで窪地に水を上げてるので、そこに動物が寄ってくるわけです。レセプション&ダイニングのエリアではソファーに座って冷えた南ア産白ワインを飲みながら、野生動物を眺められるという趣向。昼はゾウ、シカやサルの類ですが、夜になれば、ディナーを楽しみながらレパード、ライオン、ヤマアラシ、アナグマ、バッファローなどがやってくるのが見られました。


そのロッジで一晩に受け入れるゲストは12人が最大。私たちがそのロッジに泊まった最初の日本人客だとオーナー夫婦が言ってました。(ちなみにオーナー夫婦は元農場主の白人ジンバブエ人。ムガベ大統領統治下で行われた「土地改革」で農地をムガベ大統領与党支持の黒人に強奪されてしまったので、ロッジの経営を始めたそうです。)

*   *   *

実は日本国内の旅行経験はあんまりないんですけど、でも、日本国内にこういう土地の特色を活かした宿って少ないような気がするんですよね。観光地のホテル、旅館、民宿って、どこも同じような雰囲気でつまんない。料理もその土地で出す必然性のないマグロ刺身とかが出てくるし。少々アクセスが悪いところでもいいから、その土地の特色を活かして、ホスピタリティに溢れて、かつ外国人でも快適に泊まれるようにして、でもただ高級感だけを打ち出すのではなく一泊二食で2万円か3万円くらいで泊まれる、そんなのがもっと普及すればいいと思うんですがねぇ。そういうリトリートっていうかリゾートの文化が日本でも広がればいいと思うよ。

ん?、でも、これって、要は星のやの星野リゾートが打ち出して成功させてるコンセプトですね。既に気付いている人は気付いていらっしゃる。今どきネットで宿を探して予約するのが当たり前になってるし、ちゃんと情報をネットに載せておけば、外国からでも探し出してやってきてくれるお客さんはいるでしょう。マナ・プールズのロッジも、欧米からネットで予約してやってくる人が主なお客さんみたいだったし。

そういえば、数年前に京都を一人旅したとき、どう調べても宿がつまんないので、寺がやってる宿坊を訪ねて泊まったことを思い出した。で、それが本業でやってるはずのホテルや旅館よりずっと素敵な体験で、もうちょっと本業の方々にがんばっていただきたいと思ったわけです。

*   *   *

マナ・プールズの素敵なロッジは隠れ家っぽくて、みんなに知られてしまうのはちょっと惜しい気もするので、あえて名前は書かずに残しておきます。本気で行ってみようと思う人は、ネットで探してみてくださいな。


September 27, 2011

タイに行ってました。



ナイロビからアフリカを飛び出し、タイへ弾丸旅行してきました。
バンコクとその郊外で滞在60時間位。 

なんでなんでしょうね、アジアの町があんなに心地良いのは。アフリカでもそれなりに発展している町はあるんですが、バンコクのように、香港のように、シンガポールのように、東京のようには心地良くない。 もちろん私が日本人であって、アジアで育ってきたから、馴染みのある雰囲気が心地いいっていうのもあるんですけど、それだけではないと思うのです。 

アジアの町が素敵な理由はいろいろ挙げられそうですが、私が指摘したいのは2点。 

ひとつは「多様であること」。
そこにいる人も多様であれば、食べ物も多様。買い物するにしても選択肢が多い。何か手に入れようと思えば、高いもの、安いもの、かわいいもの、洒落たもの、といろんな種類がある。 摩天楼の大都会に、裏通りの庶民的な通りも隣接している。近代的なもの、雑多なもの、猥雑なもの、きれいなもの、いろんなものがある。その多様さが、アフリカにはない気がする。少なくとも今住んでいる町にはないし、以前住んだことがある中東の某都市にもなかった気がする。 

ノーベル賞経済学受賞者のアマルティア・セン博士は、「豊かさとは選択肢が多い事である」と喝破してますが、まさにそうだなぁと、思うのです。 

そしてもうひとつは「safeであること」。
日本語で言えば、治安が良い、安全である、ということなのですが、ただそれだけで片付けてしまえるレベルではなくて、気を張る必要がない、簡単にいえば「ゆるさ」がある。これは欧州の町にもない感覚だと思う。なんか食べながらそぞろ歩いてても問題ない町がある。外ですわってビール飲んでてもいい場所が広がっている。もちろん、犯罪はあるし、気をつけなくてはいけないところもあるんだけど、アフリカとはそのレベルが違う。その気楽さ、safetyが心地いい。

 と、ぐだぐだ言ってますが、バンコク最高、でした。

September 04, 2011

「絶対安全」の空気と戦う。

以前、生きている以上各種のリスクは不可避なんだし、リスクと賢く付き合って行くしかないんだよ、っていう記事を書いたんですが(「絶対に」安全、なんてないのさ。)、相変わらずゼロ・リスクを求めるヒステリックな声が席巻している件。

なんて書くと、「安全厨」だのなんだのって批判を受けそうなのですが、幸い私のブログは読者が少ないのでまあいい。それでも、上記の記事は@sasakitoshinao氏にリツイートされたり、ガジェット通信経由でそこここに転載されたりしたので、それなりに読んだ人の反応を見ることがありました。意外と私の記事に賛意を示してくれる人が多くて安堵したんですが、やはり5件か10件にひとつくらい、ゼロ・リスクの主張に通じる議論にならない議論をふっかけるコメントもありましたよ。

さてそれで。

この「絶対安全」を求める空気なんですけど、「合理的に考えよう」「リスクと賢く付き合おう」と述べただけの人を「でも、危険性はゼロではないんですよね?それを認めるのは無責任じゃないですか?」「子どもたちの内部被曝を認めるんですか?ひどいですね。」というような言説で押しつぶそうとしているように感じます。正直、この空気が怖いです。マスコミはどちらかというとこの空気に乗っかった報道をするところが多いみたいですし(私が海外に住んでるので実態はよく分からないですけど、そう思われるような話はよく聞く)、今、政府や自治体や東京電力が「リスクと賢く付き合おう」とか言うと猛反発を受けそうな気もする。政治家が会見の時に使う異常にへりくだった敬語の表現なんか聞いてると特にそう思う。しかし、そうやってゼロ・リスク主義者に迎合していると、何にもできないばかりか、危うい方向にいっちゃう恐れだってあるなと思うのです。

*   *   *

第二次世界大戦の総括について「暴走した愚かな軍部が突っ走って起こしたもの。一般国民がそれに動員されてあの悲劇になった。」という単純な物語が作られ、東京裁判という劇場で「愚かな軍部」を罰して責任を押し付け、とりあえず人々は気持ちの折り合いをつけて戦後日本は出発したという側面があると思います。でも、本当はそうじゃなかっただろうと思うんですよ。戦争を経験していない私が言うのもアレですけど、きっと国民の間にも戦争を進める「空気」があったに違いない。そして「竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえませんよね?」「精神論には限界がきてますよね?」という意見を封じ込めてしまったんだろうと思うのです。きっとそういう合理的な考えを持つ人もいた。おかしいと感じている人もいた。でも、「ほしがりません勝つまでは」っていう国防婦人会のノリに抗しきれなかったんだと思う。

なぜいきなりこういう話を書いているのかというと、ちょっと大げさかもしれないけど、今、ゼロ・リスク、特に放射線被曝に対してゼロ・リスクを訴えまくってる人たちの醸し出す空気って、この国防婦人会的な空気に似たものがあるような気がするんです。どちらも基本は善意から始まっているところも似てる。正義感にかられているところも似てる。そして、反論すれば「非国民」のラベルを貼られる恐怖がある。私が今の「絶対安全」を求める空気が怖いと感じるのも、この「非国民」のラベルを貼られる可能性を感じているからなんですよ、きっと。

*   *   *

正直、今書いているこの記事をネット上に公開するのもちょっと気が引けるところがあるのは本音です。やっぱりネット上でも叩かれるのは凹むから。自分がかわいいから。でも、後になって「あのとき、竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえないと思っていたんですよ」と言っても虚しいだけのなで、今のうちに、「おかしいと思う」という意見表明だけはしておこうと思います。

特に放射性物質の生物濃縮が危惧される野生のキノコを食べるとか、福島第一原発に近く統計上有意なレベルで放射線被曝による障害が出るところに住むとか、そういうことはもちろん避けなければいけません。でも、「ただちに影響はない」レベル、影響があるかどうか分からないようなレベルで大騒ぎし「ゼロ」を求めることはやはりおかしい。それでは身動きが取れなくなるばかりか、誤った方向に進んでしまう危険だってある。見えない放射性物質を穢れ(けがれ)のように忌避するだけじゃ何にもならないと思うのです。

August 28, 2011

「社会が悪い」か「自己責任」か。

非正規雇用が増えたり、幼児虐待事件が起きたり、あるいは無差別傷害殺人事件が発生したりすると、テレビに出てくるコメンテーターとかいう識者然とした人たちが、「国が悪い、社会が悪い」という話をしたり顔でおっしゃる。他方でネット上のコメントを見てると、当事者を嗤い、嘲り、「自己責任」だと叩く声が溢れてる。

どちらの両極端にも違和感があるんですよね。

世界や社会、政治経済のトレンドは最終的には個々人が生活、人生を生きていく上での出来事に織り込まれて表出するわけで、たいていの場合、自分自身に起きた事件は、自己の事件であり社会の事件であるという両義性を持っているのだと思うんです。

非正規雇用だの雇い止めだので先行きが見えない、という声に対しては、「正社員になればいいいだろう」「お前の努力、能力が足りないからだ」というありきたりな批判では済まないことはもう、共通の理解だと思います。社会、政治経済が非正規雇用を要請し、すでに労働者の3分の1なんていう数が非正規雇用になってる。だれが正社員でだれが非正規雇用になり、だれが自営業者でだれが資本家になるか、というのは個人の資質や努力、住んでいるところ、育った家庭環境などに影響され、非正規雇用に甘んじているのは自己責任だと言える部分もありますが、他方、社会が非正規雇用という形態を要請し、労働者の一定の割合が非正規雇用を選ぶように仕向けられているというのもまたそのとおりで、「私が非正規雇用である」というのは私の事件であり、社会の事件です。

幼児虐待事件のニュースを見ると、ホントに凹むし、虐待した親は獣以下だと憤りを覚えます。マスコミもそういう風に扇情的に報じる。しかし、虐待した親を罵り厳罰で対処する、すなわちその親の「自己責任」で片付けてしまうだけよいのかという疑問も残ります。その虐待が起きた家庭の置かれた状況はどのようなものだったのか。救いがなく助けを求めることもできない状況、暴走を止めることもできなかった状況とはどういうものだったのか。そういう状況を生んでしまった社会環境とはどうだったのか。「たとえどんなに厳しい状況であったとしても、子どもをあんな風に虐待することはあり得ない。」そう考える人も多いでしょうし、私もそのひとりですが、中には、それが稀だとはいえ、ある社会状況の下では幼児虐待事件に至ってしまう家庭もあるわけです。非正規雇用のように労働者の3分の1とかいう高い確率ではないにしても、わずかな確率ながら起きてしまう。幼児虐待事件を呼び込むのはその親の資質や経済状況など「自己責任」の部分も大きいとはいえ、社会の事件であることも否定できないと思うのです。

「なんとなくむしゃくしゃして」「やり場のない怒りで」引き起こされる無差別殺傷事件は、幼児虐待事件以上に発生件数が少ない事件だし、その動機と行為を正当化するのは難しい。同情の余地も少ない。でも、その犯人の性格や資質だけに発生原因のすべてが還元できるかというと、そうではないと感じる人も多いのではないでしょうか。だからといって社会が悪い、国が悪いと一足飛びには行かないけどね。大方の人はそんな事件は一生起こさないし、起こそうとも思わないわけですし。しかし、陳腐な言い方をすれば、社会の歪みが一番弱いところで破断する、という側面があるのも確かだろうと思うのです。「一番弱いところ」になったのは自己の責任だし、「破断する」のも自己の責任でしょうが、社会の緊張がその犯人のところにも蓄積してたのは事実でしょう。

幼児虐待とか無差別殺傷とかは感情が入りすぎるので、たとえば交通事故について考えてみる。
交通事故に遭うのは大方自己責任だと言われてしまう。たしかに、前方不注意だの脇見運転だのっていう自分の心がけ次第で防げる事故も多いと思う。でも、年に5,000人くらい交通事故死しているのは日本が車に依存した社会であるからだ、とも言えるのではないかと。そして、現に交通ルールを改定したり、警察が取り締まりを強化したり、飲酒運転撲滅の機運が盛り上がったりしたことで、交通事故死は減ったんです。つまり、国、社会の側が対応した事で交通事故死は減った。個別の交通事故は自己責任ではあるんだけど、一歩引いて統計的に見てみると、交通事故は社会的事件でもあるという証左ですよね。今の日本社会は、事故を起こしやすい人(と、運の悪い人)5,000人が交通事故で命を落とす「社会」。その5,000人に入るか入らないかの違いは自己責任に還元される部分も多いけど、そもそも車「社会」が原因である面も否定できない。

と、だらだら書いてますが、特にこの状況に対して処方箋を思いついたわけではないです。ただ、「国が悪い、社会が悪い」か「自己責任」かどちらかというのは命題の立て方がおかしくて、現実には政治経済や社会の影響は個人が遭遇する個人的な事件に織り込まれて表出するもんだよね、という話です。そして、事件を個別的に見れば「自己責任」が問われるものであっても、統計的に見れば政治経済や社会の影響があるのが分かる。

鎖を引っ張って切れたら、「鎖を引っ張ったのが悪い」のか「この輪のところが弱かったのが悪い」のか。答えは「どちらも」なのではないかと、考えてみればごく当たり前のことを思うのです。

August 19, 2011

祖父の記憶。

前回、実家に帰省した時のこと。

自宅にタクシーを呼んで空港に向ったんですが、初老のタクシーの運転手さんが、

「○○××さんのご家族ですよ・・・ね?」

と、おっしゃる。○○××は私の父方の祖父の名前だ。電話でタクシーを呼んだとき姓は名乗っているので、それで気になって声をかけたらしい。

「あ、そうです。。」

その祖父は、もうすぐ40になろうという私が幼稚園の年長組だったときに他界している。35年くらい昔の話だ。

「あー、いやー、やっぱりそうでしたか。昔××さんは△△の仕事をしてらしたでしょう?あのとき私らはよく●●に飯に連れて行ってもらってですねぇ・・・。」

当時の仕事のこと、同僚のこと、どんな話をしたか、それからうちの祖父が仕事を変わった事、運転しながら懐かしそうに話をされる。タクシーには私の母も一緒に乗っていたんだけど、母は部分的には運転手さんの話に覚えがあるらしい。

私には祖父の思い出はほとんどない。顔も覚えていない。思い出せるのは、今、私が実家にいるときに使っている2階の四畳半の部屋でいつも寝ていた姿、寝たばこをしていた姿、そしてなぜか祖父が乗っていた白い日産サニーの後部の映像。その後は病院で臨終の際に酸素マスクをつけた姿を病室の外からちょっと覗いたこと、葬式になっても「死」の意味が実感できず親戚のお兄ちゃんとケタケタ遊んでいた事、斎場ではなく自宅で葬式をして父が見慣れない黒い礼服で挨拶していた事、それくらいなのです。

不思議な気分でした。もう他界して35年も経った人なんだけど、家族でもない、今はもう何の接点もなくなってしまった人の記憶の中に生きていたんだと。孫の私も知らない姿がこの人の記憶の中に生きているのかと。

あの人はどんな人生を送ったのだろうか。戦争には行ったのだろうか。あの戦争をどうやって乗り切ったのだろうか。

そしてまた30年も経てば、きっとそのタクシー運転手も他界し、私もいずれ死を迎え、祖父の記憶はこの世から完全に消えてしまうのか。

終戦記念日は過ぎてしまいましたが、今年の8月15日にはそんなことを思い出していました。

次に帰省した時には、父に祖父のことを少し聞いてみよう。なんかだか変に照れ臭いけど。

August 14, 2011

ナミビア。



ナミビアに行ってました。純粋に観光で。
南アフリカの北西、大西洋に面した国です。ドイツ領南西アフリカから南アフリカによる統治を経て、1990年に独立した若い国です。国名の由来は国土の相当部分を占めるナミブ沙漠から。そしてその国土の面積は日本の2倍以上あるのに、人口は200万人強しかいないという人口密度の低さも興味を惹きます。

ドイツ領だった時代にも南アフリカが飛び地として統治していたWalvis Bayの空港から、大西洋に面したこじんまりとした町Swakopmundを経て2時間ほど北上すると、Cape Crossに到着します。なんとかっていうポルトガル人だかが最初に到着したところらしいのですが、そんな話も圧倒してしまうのはアザラシのコロニー。




死んでるように見えますが、生きてます。


さらに北上すると、Skelton Coast(骸骨海岸)と呼ばれる海岸線のドライブになります。船の座礁が多いことで有名な海岸で、途中には座礁したばかりの船もありましたが、時間が経つとこんな風に。


骸骨海岸、っていう名前も分かる。骨が落ちてました。


で、レンタカーがドロドロ。


海岸を離れ内陸側に進み、ナミブ沙漠観光の拠点の宿に。宿からの景色。


そして、Namib-Naukluft国立公園の入口から近いところにある砂丘、「Dune 45」。入口から45kmのところにあるからそう呼ばれているそうです。風が強い日でしたけど、みんな登ってますねぇ。


途中、ダチョウやガゼル、オリックスもいる。写真はオリックス。


そして、アプリコット色の砂丘。






さらに歩いて行くと、300年前に干上がったといわれている湖の跡。Deadvlei。


自然の景観というよりは、なんかのデザインのような景色です。


枯れ木は湖よりもさらに古く、600年〜900年前のものと考えられているそうです。


この地の砂は鉄分を始めミネラルを多く含むせいで重く、砂丘の場所があまり変わらないそうです。

こっちの湖にはまだ水がある。


砂丘に向う途中の風景。まったくもって何もないっていうか、わけが分からない感じ。


植物の生えているところもある。これは通称「ostrich cabbage」。「ダチョウのキャベツ」。


ヘリコプターで行けるのは、沙漠のほんの入口のところまで。それでも壮大な景観です。






地表見えるぶつぶつの模様は「fairy circle(妖精の輪)」。そこだけ草が生えない。地中に草の生育を阻むシロアリがいるとも言われているけど、その「妖精の輪」の土を取って来て虫を除いてから鉢植えの土にしても植物が枯れるそうで、本当のところはよく分からないとガイドさんは言ってました。




宿泊中の宿を上空から。


草原に沈む夕日。




ナミビア。植民地や信託統治領としての歴史や、少数民族の歴史、現在の政治経済など興味深い話もいろいろあるんですが、とりあえずはこの圧倒的な景観。無粋なことは今は語りますまい。

広い国なので私たちが見たのはほんの一部だし、写真をいくらアップしてもやっぱり実際に見ていただかないとこの壮大さは分かりづらいですよ。日本からはバンコク、シンガポール、香港、ドバイなどを経由してまず南アフリカに入ってからさらに飛行機で2時間ほど。さらに車で400km〜500kmは走らないとナミブ沙漠の入口のSossusvleiまで到達しないので簡単じゃないですが、行ってみる価値はあると思いますよ。

おまけ。
記念撮影するため、道路脇に打ってあった杭の上にカメラを載せようとがんばっている私。

July 31, 2011

植民地主義の清算。

現実はもっと複雑でこのブログで書き切れるものでもなく、マジメに書いたら論文か本にしなきゃいけないような内容なんですけど、手短に要点だけメモっておこうと思います。アフリカに住む白人の話。特に南部アフリカの話です。

*   *   *

南部アフリカに住む白人の住民が言う。「先祖代々、300年もこの地に住んでいるのだから、白人の現地人として認められてしかるべきだ。」一方の黒人住民はこう言う。「300年住んでいるといっても、植民地主義者の末裔には変わりない。我らの土地から搾取したものを返せ。」

そして平行線のまま議論が続く。

白人がアフリカ大陸に進出し始めたのは15世紀。当初は所有権のはっきりしない土地に入植し、開拓していったのだと思います。そしてやがて農業や鉱業の果実を得ることになりました。労働力として黒人を安く使い、富を蓄えていったのです。黒人側からすれば、搾取されたとも見えるでしょう。

他方、白人の側からすれば、なんら活用もされてない荒れ地に綿々と投資を続け、勤勉に働き続けた成果だと主張したいでしょう。また、白人が入植したおかげで教育や衛生が持ち込まれ、黒人の死亡率が劇的に低下し黒人の人口爆発がおきたのも事実であれば、それまで新石器時代と大差ない生活をしていた黒人に豊かさのお裾分けがあったのも事実です。

極々単純に考えれば、この黒人と白人の係争を処理する方法として2つのパターンが考えられます。

ひとつは、白人側が黒人側に土地を返す方法。ただし、入植した白人に対して、彼らが投資した物資や労働力に対する補償が支払われる必要はあるでしょう。そしてもうひとつはその逆で、白人側が土地所有を続けることを認めるかわりに、白人側が黒人側に土地使用、現地資源の利用の対価を支払うやり方。原理的にはこの2つが解決策としてありうると考えられます。

ところが、現実はそうは簡単にいきません。まず、白人側にも黒人側にも合意に達した場合に支払うべき補償や対価を融通できるだけの資力がない場合が多いです。「そうは言っても払えない」ということですよ。あるいは、金の問題だけでなく人材の問題もある。たとえば白人が黒人にその事業を譲るとして、黒人にそのノウハウがあるのか。ノウハウのある人はどこにいるのか。仮にいるとして、どうやって事業を引き継ぐ黒人を選ぶのか。そこには利権が生じ、腐敗の入り込む隙がいくらでもあります。

また、植民地主義の精算とはいえ、すでに21世紀のグローバル経済の時代です。ただでさえ貧窮している国が多いアフリカにおいて、白人と黒人の間のうかつな取引によって動いている経済を阻害してしまっては問題です。現に生きている経済を一度止めてから清算する、なんてことはできないのです。経済に悪影響を与えないようにしないと、結局みんなで貧しくなってしまう危険がある。

また、個別にみれば千差万別な事情があります。たとえば、最初にアフリカに入植した白人は土地を勝手に収奪したのかもしれませんが、その後に土地の売買契約や賃貸借契約を結んで入植した人たちは善意の第三者であって、彼らに植民地政策の清算の負担を強いるのはおかしい、という見方もできます。

1980年、南部アフリカのジンバブエ共和国の独立に際しては、宗主国イギリスとの間で長い協議が行われ、原則的にはジンバブエ(当時の南ローデシア)に住む白人イギリス人が黒人にその土地を渡す場合にはイギリス本国が白人農場主に補償を行うという合意が交わされています。植民地政策を推進した政府が責任を取る、ということでしょう。

ところが、経済政策に暗いジンバブエの黒人政権は、ムガベ大統領につらなる元軍人や青年たちの歓心を得るため、こともあろうか事実上彼らに白人所有の農場を自由に強奪すること容認し、黒人たちが白人農場主の家を焼き討ちするところにまで至ってしまいました。もちろん、農地を強奪したところで彼らに農場経営のノウハウや資力がある訳もでなく、機材や残されていた収穫物をぶんどった後は放置された農地も多くて、それまでは農場や関連産業での仕事があった黒人たちまで仕事を失い、経済破綻へと一直線に進んでしまったのです。もちろんイギリスはそんな無茶苦茶な「土地改革」に補償を支払うはずもありません。結局、混乱の中で巨富をかすめ取ったごく一部の特権階級を除いては、みんな貧しくなってしまったというのが今のジンバブエです。

ジンバブエよりもはるかに経済規模の大きい南アフリカはこのジンバブエのバカさ加減を反面教師としているのでしょう。また、南アフリカは、多国籍企業も進出していれば、植民地主義者に抑圧されたという意味では黒人と大差ないインド系の住民や企業も多いはずです。植民地主義を清算する、といったって、だれが「植民者」でだれが「現地人」なのか、ということさえ定義が難しい状況でしょう。それでも、やはり経済活動への黒人の進出は支援すべきというコンセンサスはあり、黒人の経済的権利拡大政策(Black Economic Empowerment: BEE)が進められています。

他方、ジンバブエは農業を食い尽くしてしまったので、今度は製造業や鉱業をターゲットにして外資系企業に所有権の51%を黒人に譲渡することを義務付ける法律、いわゆる「現地化法」を制定してしまいました。白人農場主の土地収奪で甘い汁を吸った政治家、特権階級の人たちが、「夢をもう一度」とばかりに画策している面もあるのですが、さすがにこの無謀な政策に反対する勢力もあり、本格施行がずるずる延びているところです。

*   *   *

アフリカとヨーロッパの長い歴史的関わりの中でおきた植民地支配。南部アフリカにおけるヨーロッパ系住民の生活を見ていると、植民地支配は歴史の教科書の中の出来事として終わった事ではないことを実感しますよ。現代の南部アフリカは当然ながら歴史の延長線上あって、今日の経済政策も歴史の経緯を踏まえた上で立案していく必要があり、植民地支配は今もその残滓で頭を悩ませる要因になっているんですよね。

(この記事は主に南部アフリカ、東アフリカを念頭に書いています。西アフリカになると、植民地時代からの白人住民が非常に少ない上、奴隷貿易の話が避けて通れないことになって、様相が違ってきます。また、北アフリカはアラブ世界、地中海文化圏になってきますよね。)

July 04, 2011

デモに参加する?

このところずっと海外に住んでいるので、参加しようと思っても参加できないんだけど、たぶん日本にいても参加しないし、実際日本にいた時にも参加したことがないです。というのは「デモ」の話。

参加しない理由はいろいろある。デモの種類にもよるけど、なんかどっかの労組か政党が主導、動員している風で、そういうのに縁が薄いっていうこともあるし、デモしている人たちの風体がどうも異質で、たとえ主張に一理あるなと思っても、「あの人たちと一緒にはされたくない」って気分のときもある。

しかしまあ、デモに参加する気にならない一番大きな理由は、世の中そんなに明確に「反対」って言えることってあんまりないってことですよ。原発だって原発依存は下げていく必要があると思うけど、今「反対」って叫んでもそれって「今すぐ止めろ」に聞こえるし、そういう「反対」には共感できないし。

「賛成」と「反対」の間に無数の考えがあって、現実的に取りうる策も「賛成」と「反対」の間にあることが多くて、反対反対って叫んでも何の解決にならないこと多いし。問題は問題で、だからどうするのか、と考えなくちゃいけないのに、反対反対って叫ぶばっかりでどうするの?って思ってしまう。

だから私は、デモに参加しようと思ったことがないのです。で、もし私がデモに参加していたら、それは余程の事態なので気をつけた方がいいですよ。

July 03, 2011

クリケット観戦記。


言っておきますけど、私はクリケットのルールはまったく知りません。あの、バッターのところにある3本の棒はなに?って聞いてるレベルです。それが、クリケット・コカコーラ杯のオーストラリア対ジンバブエ戦が日曜だから見においでって誘われて、成り行き上、断れなくなって見に行ってきました。

試合は9時からという話で、クリケットって試合が長いという話だけは知っていたので、10時半頃にスタジアムに。

まあ、試合は始まってるんですけど、人は、まだまばら。これから三々五々集まって来るみたい。会場で待ち合わせた知人がルールを解説してくれるんですけど、やっぱりそんなすぐにはよく分からない。で、ビール飲み始める。

昼近くになると、だんだん人が増えてきて、みんなで持ち寄ったお弁当食べたり、よそんちの子どもと芝生で遊んだり。知っている人もぱらぱらとやってくる。

試合は続行中。なんか、メリハリのない単調な運びなんだけど、ときどき会場が「わー」って盛り上がる。よく分かんないけど。10時半頃から見ててて、初めて攻守が交代したのが12時過ぎ。そろそろ飽きて帰る人も出て来るんだけど、その頃から来る人もいる。

午後2時過ぎ。快晴の日の芝生の上。おなかもいっぱいになってビールも飲んで気持ちよくなってきて、いよいよクリケットの試合内容なんかよくわからなくなって来て、「試合はどのくらい進んでるの?」と聞くと、まだ中盤前だという。もう帰る人もあり、これから来ている人もあり。私ももう、今日はこれで十分だなーと思って、適当なところでみなさんにお別れを言って帰ってきました。

*   *   *

クリケットの試合が好きで見に来ている人ももちろんいるんだけど、コカコーラ杯くらいの試合だと、クリケット観戦っていうのはクリケットを口実にしたピクニックですねぇ。クリケットがみんなが集まる根拠になっているんですけど、真剣に試合に見入っている人はあんまりいない。

あるいはあれは、一種の社交のフォーマット。会食、レセプション、ゴルフ、などに続くものだなと思いましたよ。で、会食やレセプションは始まる時間がちゃんと決まっていて、せいぜい2、3時間で終わるのに対し、クリケット観戦はもっとカジュアルで一日中だらだらやってるという形式の差があるんだけど、その違いを活かした違うフォーマットの社交場になってるなと。なんとなく人が出入りし、普段とは違う開放的なところで友人知人、仕事上の関係者なんかと挨拶を交わし、雑談して関係を確認する。そんな場になってました。

クリケットもワールドカップとかになれば真剣な試合としてみんな観戦するんででしょうけど、コカコーラ杯くらいだと「スポーツ観戦」という意味合いが薄いですよ。サッカーや野球を観戦するのとは違う。縁日や野外コンサートに近いかな。

ということで、クリケットのルールは結局分からずじまいだったんですけど、観戦の仕方はだけはなんとなく学んできましたとさ。

June 19, 2011

政府開発援助=人道支援、ではないよ。

「震災後のこの大変な時に、海外に援助なんかしている場合か。」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。

「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。

あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。

ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。

アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。

日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。

*   *   *

東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。

本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。

June 05, 2011

アフリカ貧困国の特権階級。


今、30代後半以上の人たちのアフリカに対するイメージって、1980年代のエチオピア飢饉のイメージからあまり変わってないんじゃないかと思います。乾いた大地にやせ細った黒い人々が座り込んでいる姿が延々続く景色。2000年代に入っても、スーダン・ダルフールで似たような状況が再現されたし、相変わらず「黒人の」「暑く」「貧しい」大陸というイメージは変わっていないんじゃないかなと。

アフリカには50以上の国があり、一口に「アフリカは」なんて括って話すことは難しいです。北アフリカはアフリカといっても文化的には中東・アラブ圏だし、モーリシャスとかセイシェルとか、一応アフリカだけど島国でほとんど先進国並みという国もある。南アフリカは気候的には地中海的だし、経済は中進国。エチオピアにしても、首都アジスアベバはそれなりに開発が進んだ住みやすい都市だと聞いています(標高高いので空気が若干薄いらしいけど。)。

そんな感じなので、アフリカの印象をひとまとめに語ることはできないですけど、でも、それでも、やはり開発の遅れた、貧しい、破綻した国家が多いのは事実。特にサブサハラ、ブラックアフリカと呼ばれるサハラ沙漠以南のアフリカや、西アフリカにはその傾向が顕著です。

ところが、たしかに貧しいんですけれど、共通しているのはたいていどこの国にも特権階級がいて、破格に豪勢な生活をしているんですよね。豪邸に住み、高級車を何台も所有し、使用人を大勢使って生活している人たちがいる。で、そういう人たちが陰に陽に政治に影響力を行使し、またある時は自身が政治家であったりするんです。

粗末な社会インフラの中で非常に貧しい生活を強いられている多くの人々とほんの一握りの特権階級、というのは多くのアフリカの貧困国に共通した構造であるように見えます。そしてこの特権階級の人々は、自国の発展にはあまり興味を持ちません。自国よりも、自分の一族の発展が第一です。そして、対外的には「自国の発展のため」という説明をしながら、実際には「自分の一族のため」の支援を得ようとします。彼らの視界の中に、自国の国民の姿はほとんど存在しないような気さえしますよ。

「特権階級と多くの貧しい国民」という構造は、「封建領主と領民」の関係に似ているところがありますが、ひとつ違うところがあります。封建領主は領民から年貢や人頭税を取り立て、労役を課したのですが、アフリカの特権階級は国民から直接は搾取しません。彼らの収益源は、国営・公営企業の収益や鉱山開発等のロイヤリティ収入、独占事業や許認可事業による収入、あるいは関税収入や海外からの開発援助に関するものが多く、本来ならば国民が手にし得たはず富をかすめているので間接的には搾取していることには違いないのですが、国民の財布から直接抜き取るようにはなってないのです。現に、このような貧しいアフリカ諸国の国民負担率((租税負担+社会保障負担)/国民所得)は10%〜20%程度で、多くの先進国の40%〜60%という水準を大きく下回ります。この国民負担率の低さは、特権階級(≒為政者)対しては、国民の負担によって国家が運営されているという意識を希薄にさせるように働くと考えられます。納税者に対する説明責任というものをあまり気にする必要がないので、国民のため、国民の付託に応えるための政策を打つという意識も希薄になり、「視界の中に国民の姿がほとんど存在しない」という状況になるのも当然という構造ですよ。

だから、そういう特権階級の人たちは、社会の民主化が進み経済が自由化されると自分たちの特権・地位が危ないので、たとえそれが自国の発展を妨げ国民が貧窮することになる政策であっても、それを支持することさえ、ままあります。表向きは経済発展、開発が重要と主張し、自分が利権を持つ企業が利益を拡大できる場合は積極的に推進するのですが、自身の利益に反することは、たとえ経済発展に必須な政策であっても、「国家主権の問題」というようなもっともらしい理由をつけて、厚顔無恥にも反対するのです。

日本だったら自民党に聞いても共産党に聞いても「日本を発展させたい」という根本では一致すると思いますけど、こういう貧しいアフリカの国には、無自覚的にしても本音のところで「今のままでいい、発展させない方がいい」と思っている特権階級、支配階級がいる国が多いんです。

汚職とか腐敗とかいうと贈収賄を思い浮かべますが、贈収賄くらいならかわいいもので、国のシステム全体が搾取の構造になっている「腐敗」なんですよね。アフリカが発展しないことを書いた本や論文はいくらでもありますし、私がここで書いているようなこともまあ簡単に言ってしまえば「利権の構造」ということで特に目新しいことではないんでしょうけど、アフリカの途上国に3年以上住んでみて、そういう構造が実際に存在していることに気付いて、残念な気持ちになるのです。

May 29, 2011

ロバを売りに行く親子。

ずーっと昔、子どものころに読んだ絵本に載っていた童話「ロバを売りに行く親子」のお話を、最近時々思い出すんです。お話のあらすじはこんな感じ。

*   *   *

ろばを飼っていた父親と息子が、そのろばを売りに行くため、市場へ出かけた。

2人でろばを引いて歩いていると、それを見た人が言う、「せっかくろばを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいない事だ」。なるほどと思い、父親は息子をろばに乗せる。

しばらく行くと別の人がこれを見て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」と言うので、なるほどと、今度は父親がろばにまたがり、息子が引いて歩いた。

また別の者が見て、「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにろばに乗ればいいだろう」と言った。それはそうだと、2人でろばに乗って行く。

するとまた、「2人も乗るなんて、重くてろばがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にろばの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。

しかし、不自然な姿勢を嫌がったろばが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたろばは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。

http://bit.ly/jVqT7h(Wikipedia:ろばを売りに行く親子)

*   *   *

この童話を読んだ当時はその寓意なんか全然分かってなかったんですけど、今になって読むととても納得するところがありません?

イソップがこのお話を作った紀元前の時代にはもちろんテレビもインターネットもなかったわけで、ロバを売りに行く親子に何かと難癖つけるのは彼らを見かけた道端の人たちだけだったんでしょうが、今や「ソーシャル」の時代。実際には道端にいない大勢の人にも、ロバを売りに行く親子の様子が瞬時に伝わってしまうのです。そして、特にちょっとでも世に知られた人が何か行動を起こすと、twitterなんかでもう、いろんなことを言われてしまうわけです。ありとあらゆることを言われて、私だったらびびってロバといっしょに道路の真ん中で固まってしまいそうですよ。

そしてもうひとつ思い出すのは小泉元首相が発した「鈍感力」という言葉。たしかに注目を浴びる政治家ともなれば、ロバの運び方についていちいちみんなの意見を気にしてはいられない。どうでもいいからロバを運ばなくてはならないわけで、「鈍感力」というのはまた、膝を打つアイデアですよね。

人の意見をまったく聞かないのは褒められたことじゃない。でも、この「ソーシャル」の時代、イソップの頃とは比べものにならない数の人がロバを売りに行く親子の行動を論評し、正直、揚げ足取りのような意見も大量にネットに流されていくわけです。そこからどんな有用な情報を拾い、どう判断し、ロバといっしょに道の真ん中で固まらずに先に進んで行くか。心ない批判、くだらない揚げ足取りに心折れることがない鈍感さ、図太さとともに、そんなリテラシーがないと身動きさえ取れない時代になったなぁと、あの絵本に載っていた幸薄そうな親子の顔を思い出しながら考えるのです。

May 15, 2011

国際的たらい回し。


ジンバブエの首都ハラレに滞在中にたまたま取った電話で、見ず知らずの現地の人から「日本から中古車を輸入しようとして代金を振り込んだが、相手が音信不通になった。」との相談を受ける。こっちが日本人だというのをどっかで知って電話をかけてきたんだと思う。

「はぁ、またですか。」

いや、電話してきた人にとっては初めてかもしれないけど、当方にとっては「またか。」です。アフリカにいると、そんなに珍しいことじゃないんです。ときどき聞く話。

「笑い事じゃないんだ!」

そりゃそうでしょう。被害額はたいてい数千~数万ドル。インターネットで日本の中古車輸出業者のページを見て車種を選び、メールと電話&ファックスで契約をしたというのがほとんど。 それで代金を振り込んだら相手が行方不明になる。

ためしにその中古車取扱業者のページを見てみると、見かけはちゃんとしたページには見えるんだけど、肝心の会社概要がなかったり、簡潔過ぎたりするんです。載っている電話番号の市外局番から「たぶん神奈川の業者でしょうね。」と分かる程度だったり。で、取り扱ってる中古車は確かにちょっと(かなり)お買い得な価格設定になってる。 さらに、英語はちゃんとしてるのに日本語が妙にぎこちなかったりで、これってロシア人とかパキスタン人とかがやってる中古車ブローカーじゃないの?って臭いがプンプンする。

昔、この手の問題の場合はまずどう対応すべきなのか警視庁に電話で聞いてみたことがあります。その警察の人曰く、まず現地の警察に被害届を出し、現地の警察が国際警察機構を通じて日本の警察に捜査依頼を出す、というのが標準的な手続きですと。なるほど。

しかしねえ、ジンバブエのような途上国の場合、どこまで現地の警察に事務処理能力があるかが多いに疑問です。しかも、被害者がジンバブエ国籍ではなくて、コンゴ国籍とかナイジェリア国籍だったりするし、ジンバブエは内陸国なので、中古車の配送先が南アフリカのダーバン港までとか、モザンビークのベイラ港までの契約になってる場合も多い。そこまでは自分で引き取りに行くつもりだったんでしょうけど、そしたら「現地」ってどこよ?って感じです。

要は、ジンバブエに住んでいるコンゴ人が、日本にいるパキスタン人の中古車ブローカーから中古車買ってモザンビークまで車を輸入しようとして詐欺に遭った。

あーもう、くらくらするね。この一文で被害回復の望みが薄いことは明々白々、残念ながら。国際的にたらい回しにされるのは目に見えてる。

「まずはジンバブエの警察に相談したらいいんじゃないですか?」

私もそう答えたしね。

*   *   *

日本中古車輸出業協同組合という業界団体があって、そこに加盟している業者だったらまだいい。音信不通になったらその団体が確認してくれるみたいだし、被害の回収などもやってくれるらしい。場合によっては代理弁済もやるらしい。でも、相談してくる人が代金を振り込んだ業者はまず、この団体には加盟してないです。

といって、数千ドル~数万ドルの被害だと、日本に渡航して被害を回復するのも費用がかかりすぎて意味がない。ジンバブエから日本までだと、渡航・滞在費が最低でも数千ドルになっちゃうからね。

この手の詐欺で泣き寝入りしている人、少なくないんじゃないかと思いますよ。 まあ、自己責任といえばそうなんですが。

May 14, 2011

「日本は終わった」の?

日本からのニュースが暗い話、気の滅入る話ばっかりなんですよね。地震、津波、原発事故が起きたからそれはまあ仕方ないんですけど、それに続く話もろくなニュースがないように見えます。私のtwitterのTLが偏ってるのかもしれないけど、それを抜きにしても、今後を嘆く声ばかりが聞こえてくる。そして、それがいちいち筋は通っている。もう、「日本は終わった」という勢いです。

たしかに厳しい。しかも、原子力災害補償スキームひとつにしてもマトモなものを設計できない政治。先行きを考えると重苦しいのはたしかにそう。

・・・なんだけど、でも、ふと思い出す。そこまでダメダメなんだっけ? 世界トップレベルの平均寿命、貧しくなったとはいえまだ世界的には豊かな部類に入る庶民の暮らし、類を見ないほど洗練されたサービス、それなりにちゃんとした教育を受けた1億人を超える人口。高齢化や震災で斜陽は迎えるかもしれないけど、だからといって「終わった」わけじゃないよね? 現に日本に帰ると(東京以西しか滞在してませんが)、「あれ?」っていうくらい生活は普通だし、楽しいし、美味しいし、刺激的だし、友人たちもそれなりにいきいき仕事しているしさ。

日本から遠く離れた海外に在住したりなんかしていると、日本に関する情報はごくわずかです。日本人として積極的に日本のニュースを日本語で取りにいっていればそれなりの情報は入りますが、そうじゃない一般の人々の日本に関する知識はほんと、限られています。そんな状況の中で、「ダメだダメだダメだ」と発信してばかりいたら、ホントに海外で「日本は終わった」という単純なメッセージが固定してしまうんじゃないかと恐ろしくなるんですよね。

アフリカなんかにいると、原発事故こそないけれど、もっと「終わってる」国はいくらでもあります。「破綻国家」とか酷いラベルを貼られた国も多い。しかしそんな国でも(いや、そういう国だから、かもしれませんが)、人々は日本人には奇異に映るほどプライドが高いし、「オレたちのどこが悪いんだ?批判するヤツがおかしい。」くらいの厚かましさを持っていますよ。

そんな厚顔を日本人が真似するべきでもないし、しようと思ってもできないけど、でも、あんまり自己卑下ばっかりして、責めて、批判して、ネガティブなことばっかり発信し続けるのは不健康だなぁと思うのです。日本は元気だ、大丈夫だと空騒ぎするわけにもいかないけど、悲観ばっかりしてても何もいいことはないし、「なんとかしよう」「なんとかなるさ」っていうメッセージがもっと発信されるといいなって思うんですよ。

May 07, 2011

「それは、なんのため?」

「コーヒーを出して。」と、上司が言う。

Aは「はい。」と答えて引っ込み、しばらくして戻って来て、「コーヒーがありませんでしたので出せません。どうしましょうか?」と訊く。

Bは「はい。」と答えて引っ込み、コーヒーがないことに気付く。で、ここで考える。上司が「コーヒーを出して。」と言ったのはなんのため?客人をあたたかい飲み物でもてなすためだよね。だったら、コーヒーはなくても、紅茶でも日本茶でも、とりあえずはいいよね。「あいにくコーヒーは切らしてますが、日本茶をお持ちしました。」

*   *   *

Aは、公務員の仕事のイメージ。

Bは、コンサルタントの仕事のイメージ。

「それは、なんのため?」コトの本質を問い、解決策を提案する。かっこよく言えば「ソリューションの提示」なんてことになるのかな。

コンサルタントじゃなくても、「それは、なんのため?」あるいは「それは、なぜ?」と、日々の出来事を、たとえそれが当たり前のことのように見えても、立ち止まって問うてみることが大切なんだと思うよ。そこから、新しい発見がある。全体像の理解が進む。

*   *   *

上司が客人をあたたかい飲み物でもてなすのは、なんのため?

ー>客人とよい関係を築くため。(客人とよい関係を築くためには、どうすればいい?=なぜ、客人とよい関係が築けないの?)

客人とよい関係を築くのは、なんのため?

ー>商談をうまく進めるため。(商談をうまく進めるためには、どうすればいい?=なぜ、商談がうまく進まないの?)

商談をうまく進めるのは、なんのため?

ー>売上を伸ばすため。(売上を伸ばすためには、どうすればいい?=なぜ、売上が伸びていないの?)

売上を伸ばすのは、なんのため?

ー>給料を上げるため。(給料を上げるには、どうすればいい?=なぜ、給料が上がらないの?)

給料を上げるのは、なんのため?

ー>豊かな生活をおくるため。(豊かな生活をおくるには、どうすればいい?=なぜ、豊かな生活が送れないの?)

・・・

こういうのって、「システム思考」とか呼ぶらしいけど、要は「それは、なんのため?」って問うてみるのは有意義だよ、って話です。

May 02, 2011

やっぱり一票の格差の問題に行き着く。


波照間島に行ったんですけどね。お天気にも恵まれて、日本最南端の有人島を満喫してきました。白い砂浜、そこから続く輝くような青い海。その先は足が着く深さのところからすでにもう珊瑚礁。ゆるーい空気が、使い古された言葉だけど「癒し」になります。

というような波照間島観光の見所は他にも紹介されているサイトがたくさんあると思うのでそちらに譲るとして、私が気になったのは、やはり離島の暮らしは公共事業に頼らざるを得ないという現実を見たこと、なんですよね。

その畑から上がる収益ではきっと回収できない費用がかかる圃場整備や利水事業。観光客を乗せた車が日に何台か通るためだけなのにきっちり舗装された道路。新しいところでは地デジ対策。

公共事業による利益誘導だの、公共事業に頼る過疎地の経済だのっていう話は自民党政権時代、それも小泉政権時代よりもっと前に盛んだった議論でいまやもう過去の政策課題のように見られているんでしょうが、とにもかくにも公共事業がないと島の経済は成り立たないんだろうなーっていうのは、ほんの短い島への滞在でも感じられましたよ。

日本経済が停滞期に入ってはや20年。「俺らの生活をどうしてくれるんだ?」という声が地方からだけでなく都市部でも噴出するようになり、コストをかけて村の暮らしを維持する余力を失いつつある中、今後はどうしていくんだろう?って、背筋に寒いものを感じたのは事実。

いや、波照間島はそれでもまだよいのです。すばらしい観光資源があるし、移住したいと思わせるだけの魅力もある。現に、島に居着いている本土の人にもお目にかかったし。なんとかなると思う。

しかし、どんどん増えているという「限界集落」って今後どうするんだろう。波照間のような際立った特色もなく、高齢者ばかりになった集落が万単位であるらしいけど、そのすべてで生活基盤を維持させるためのコストは負担できないよ、この経済停滞期に。

「住み慣れた土地を離れたくない」という主張は心情的には分かる。でも、希望を全部は聞いていられないのも確か。どこかで妥協が必要で、その妥協点を見出すのが政治の仕事なんでしょうけどねぇ。

*   *   *

・・・そう考えると、私の疑問は一票の格差の問題に行き着く。今の制度では、往々にして限界集落の人たちの意見がより多く聞き入れられることになってます。衆院で2倍、参院で5倍の一票の格差ってそういうこと。限界集落の今後を議論するのに、「政府が責任をもって維持するべきだ」という人が多いと思われる勢力の意見を2倍、5倍の大きさで聞くってことだよね。それはフェアじゃないよね。

代表が集まって議論をしようと言うのに、代表の選び方がフェアじゃないんじゃぁ、仕方がない。

ということで、えらい話が飛んでしまいましたが、まず一票の格差是正が重要だと思う次第なのです。

April 11, 2011

新幹線の車窓から。

実家のある福岡と本社のある東京の間はいつも飛行機で移動しているんですけど、今回は福山で知人を訪ねる予定があり、片道を新幹線で移動しました。

新幹線の車窓に広がる、東京からずっと途切れない街並。ビル、工場、護岸工事された河川、そして、つつましくもきちんとした暮らし。

東日本の震災は未曾有の規模で、被災された方々、直接の被災はなくとも影響を受けている方々の辛苦は「分かります」などとはとても言えないレベルです。

しかし、新幹線の車窓から見えた東京以西の街は、「日本にはこれだけの街があり、これだけの人がいるんだもの。きっと大丈夫。」と思わされるに足る景色でした。なんの科学的、経済学的根拠もない私的な印象に過ぎないんですけどね。

時折視界に飛び込む満開の桜が美しかったです。桜前線はもう、東北地方まで北上したのかな?

April 01, 2011

「絶対に」安全、なんてないのさ。

「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という問いには答え難いですよ。なぜなら、確率・統計的事象に対して、「絶対に」安全ということはないですから。言い切らないのが科学的には正しい態度です。

日本で車に乗ってたら走行距離数百万キロで1件というくらいの確率で交通死亡事故に遭遇するし、こんにゃくゼリーで命を落とす人もいる。だから、車もこんにゃくゼリーも「絶対に」安全とは言い切るわけにはいかない。結局、公式には「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」というような持って回った言い方にならざるをえないし、それが科学的に正確な答え方だと思うんです。

ところがそれでは納得しない人が少なくない。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に答える側は、「判断」を示すよう迫られます。

しかしその「判断」は人によって異なるもの。あなたは安全と思うが私は安全とは思わないかもしれない。「判断」は主観的なものなのです。たとえ事故の確率が十分低くても、こんにゃくゼリーで我が子を失った親はこんにゃくゼリーを安全な食べ物とは看做さないでしょう。

さらに悩ましいのは、「安全」か「そうじゃない」かの二択でしかモノゴトを見ない人にとっては、往々にして「安全」といえばゼロリスク、100%の安全を意味していることですよ。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に「安全」と断言してしまうと、そういう二択の人たちは「事故が起きているのに『安全』とはなにごとか。虚偽だ。」と責めるのです。

といって、「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」という言い方をすれば、二択の人たちは、「不正確だ」とか、「ということは危険も残っているのだな。そんなものを認めるとはなにごとか。」とまた責める。

ゼロリスクを求めていては何もできないのです。車にも乗れないし、包丁も使えない。こんにゃくゼリーも食べられないし、それこそ外を歩いていて隕石に当たる確率だってゼロではない。「安全」か「そうじゃない」かの二択ではなくで、危険度を評価することが求められるんです。その上で判断するリテラシーが必要なんですよね。

とはいえ、昨今話題の放射線被曝の危険性については、内容が高度に専門的だし、体感的に理解できないし、自分で「判断」するようを求められても困るという人が多いだろうし、「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と言いたくなる気持ちも分からなくもない。だからこそ「その数字が何を意味するのか。」ということを丁寧に解説するコミュニケーションが必要になると思うのですが、マスコミも二択の人と一緒になっちゃって騒いでる場面も見かけてしまう。

それで人々は、不必要に怖がったり、過剰に安心したり、果ては情報隠蔽や陰謀論に振り回されたり。悩ましいですね。

*   *   *

うだうだと書きましたが、要は「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と訊かれる側にはなりたくないなぁ、というのが正直な感想で、今まさにそういう質問に晒されている人たちには同情を覚えるのです。

March 26, 2011

(無)計画停電。(ジンバブエの場合)

慰めにもならないでしょうが、世界にはこんな電力会社、(無)計画停電もある、というお話。ジンバブエ電力公社(Zimbabwe Electricity Supply Authority:通称ZESA)の件。

最初に申し上げておきますけど、ジンバブエってかつては先進国並の国だったんですよ。南アフリカと同等かむしろ上で、宗主国イギリスによって都市もインフラも整備され、農業も製造業も活発で、教育や医療も整ってた。1980年代頃までは、アフリカの「bread basket」と言われるくらい豊かな土地が広がってたんですよねぇ。それが徐々におかしくなってきて、白人敵視、欧米敵視政策をとるようになった2000年代に完全に破綻してしまったんです。そして2008年に経済が崩壊、どうしようもない国になりました。世界の鼻つまみ者です。

そんな経緯があるので、住宅は停電を前提とした設備がないのが普通。たとえばガーナとかバングラデシュのような正真正銘の途上国の場合、当然インフラも整備がままならないので、一定水準以上の生活を営む人(多くの外国人も含まれる)の住む家やアパートは最初から停電があることを前提とした設計になっているんですよね。敷地内に発電機があって、停電の時はそちらに切り替える設計になっていたりする。が、ジンバブエの場合は、元は停電なんてないちゃんとした国だったので、そういう設計になっている家は少ない。

ZESAは公営企業で無責任経営、ムガベ大統領与党の利権になってもいたので、国の政治経済が無茶苦茶になるに従って、当然のように無茶苦茶になっていきました。

まず、電力インフラの維持管理ができなかった。ジンバブエの主力の発電所はカリバ水力発電所とワンゲ石炭火力発電所なんですけど、カリバの方はジンバブエ独立前、植民地時代の1960年頃に建設されたものでそれ以降はチマチマとした場当たり的修理はやったものの、大規模な修理はできていないので、本来の発電容量の半分とかしか発電できていない。ワンゲの方も、最後に大規模に設備投資したのは1980年代。さらには、燃料の石炭は国内で産出できていたんですけど、経済破綻で鉱業も著しく停滞してしまったので、まともに稼働できていない。

結果どうなったかというと、ジンバブエ国内で必要とされる2500MWのうち、全部合わせても1000〜1500MWしか発電できないという有様に陥ったわけです。それで、隣国(モザンビーク、ナミビアなど)から電力を輸入する、という手に出たんだけど、経済が崩壊しているので支払いが滞る。巨額の債務が出来る。設備投資が出来ない。という悪循環。

経済が極度に悪くなったので、生活苦からの電線の盗難も多発。変電設備の故障も修理できず、どんどん供給能力が落ちて、停電が日常茶飯事になっていきました。

みんなが電気を使う時が逼迫するので、一般家庭では朝方と夕飯時の停電、工業地帯では昼間の停電が多いらしいです。停電しても、まあ一般家庭であれば、数時間すればまた電気戻ってくるかなぁ、夜9時過ぎたら復活するかなぁと、ある程度は予測が付くことも多いんですが、たまには一日中、地域によっては数日にわたって停電が続いたりしているみたいです。

もちろん、電気料金もまともに課金できてない。そもそも自国通貨がハイパーインフレを起こしていた時期があったので、いくら課金すべきなのかも分からなくなってしまってる。それで、自国通貨が事実上廃貨されたあとは、便宜上米ドルで、大きな家は月40ドル、集合住宅は月20ドルとか適当な集金を始めたんですけど、そんなんじゃZESAの債務が解消されるわけもなく、私の知人宅にもよく意味不明な請求が来てました。先月まで40ドルだったのに、今月は800ドル、とか。もう管理もなにも無茶苦茶になってるので、取れるところから取ろうとしているだけだと思いますよ。外国人で金回りの良さそうなところにはふっかけるだけふっかけてみる。金持ちでも、ムガベ大統領与党の有力者のところは電気料金を払っていないというウワサだし。

で、800ドルとかの請求がきたら、ZESAに交渉に行かねばならない。自分で自宅の電力消費の記録をつけて、請求が法外であると主張せねばならない。しかし、このとき、交渉がまとまらなくても、まったく払わないで帰ってくるとマズいらしいんです。ZESAが電気を止めるから。それも、物理的に配線が切られて修復に時間がかかる羽目になるので、小額でも払って来るのがコツらしい。払っていれば、電線切られることはないらしい。んで、しばらく粘り強く交渉すると、相手が折れて800ドルが100ドルになったりするんです。もう、支離滅裂。

さらにひどいことに、ZESAはムガベ大統領与党支持者の利権なので、管理職の給料が無茶苦茶に高い。公務員の給料が月200ドルとか300ドルとか、首都で6人家族が生活するには月500ドル〜1000ドルはかかるね、といってるところで、月給4000ドルから1万ドル以上をもらってるんです。しかも、そういう管理職が異常にたくさんいる。そいつらの給料は払いつつ、設備投資は資金がないのでできない、困った困ったと言い続けているんですよね。

さらにさらに、停電させる地域の割当もひどくて、大きい病院のある地区や病院が多い地区への送電を優先するのは分かるとしても、次に優先されるのがムガベ大統領公邸及び私邸のある地域、次がムガベ大統領与党支持の有力者や中央銀行総裁などの私邸がある地域、そしてZESAの本社ビル、もっとも頭に来るのが、ZESAの社員住宅も優先的に送電されている様子。

いったい、何のための電力会社やねんってつっこみたくなるよね。仕方ないので、外国人や白人市民は自宅に小型の発電機を据え付けたり、インバーター(電気のあるときに電池に充電しておいて、停電したら電池の直流から交流に変換して使う装置)を買ったりしてる。鉱業系の大きな会社の中には自前で発電所を建てたり、隣国モザンビークの電力会社と契約して国境を越えて送電してもらってるところもある。貧しい黒人居住区では、パラフィンを使うコンロ(キャンプ用みたいなの)とか、未だに薪を使ったりしてる。ガソリンスタンドで薪を売ってるときあるもんね。

幸い我が家は、停電した場合は朝6時半〜7時半、夜6時〜9時は、管理人が同一敷地内にある6世帯で共用の大型ディーゼル発電機を運転してくれるし、だいたい停電はこの時間帯に収まる。昼間は停電してても自分が家にいないしね。で、夜9時以降とか予想外の時間帯に停電した場合は、小さなインバーターがあるので、電子レンジや冷蔵庫は動かせないけど、最低限の照明は数時間はもつのでなんとかなる。加えて、電気料金を家賃込みにする契約にしているので、ZESAとの交渉は管理人がやってくれているので手間がかからないよ。その分、若干家賃割高だけどね。でも、そうでもしないと毎日電力会社や電話会社との交渉に明け暮れて仕事になんないでしょうよ。

*   *   *

世の中にはこんなひどい電力会社もあります。だから東京電力がグダグダでも許してあげてね、などと言うつもりはありませんが、まあ電力会社が相当ひどくても意外となんとかなっちゃったりするもんだよ、というくらいのことは言えそうです。

March 21, 2011

バックパッカーのきみへ。

バックパックを背負って世界一周に出かけた○○くんへ。

今はどのあたりを旅行中でしょうか?

あなたがアフリカの我が家に寄ってくれたのも、もう2週間前の話になります。旅ももう、ずいぶん長くなってきましたね。

もうすぐ地震発生から10日になります。
今回の地震については、どのくらい情報を得られていますか? 途上国を旅行中では詳しい情報を得るのは難しいとは思いますが、並の震災でないことは既にお聞き及びですよね?

地震、津波で阪神大震災を大きく上回る犠牲者が出ているだけでなく、いまだ被害の全容、犠牲者の数さえ掴めていない状況です。さらには福島第一原子力発電所が大きな被害に遭い、今も放射線被爆と戦いながらの懸命の作業が進められています。

天皇陛下がテレビでお言葉を述べられるという場面もありました。

原発事故のせいで都内も計画停電(といっても計画通りにはいっていない)が実施され、情弱な高齢者や主婦たちが不必要な食品の買い占めや東京からの避難に走り、緊迫した空気があるようです。電車の間引き運転や商店の営業時間短縮も続いています。

現在、警察、消防、海保、自衛隊が総力を挙げているほか、空母ロナルド・レーガンも三陸沖に停泊し米軍も大々的に救援活動に当たっており、100を超える国と国際機関からの援助の申し出を受けながら数々の緊急オペレーションが続いています。

震災から10日を過ぎ地震直後のショック症状は次第に収まりつつありますが、その深い傷跡の前に呆然とし、もはや10日前の日本には戻れない現実を噛み締めています。

*   *   *

日本は、2011年を、1868年、1945年と並ぶ時代の節目として記憶することになると思います。

「失われた20年」といわれ、閉塞感に苛まれながら、徐々に徐々に疲弊しながら、しかしなんとか持ち堪えてきた日本社会が、この震災を機に、不連続に、次の時代に突入していくような感覚を覚えています。高度経済成長、バブル時代、「失われた20年」、そして「震災後」。あたらしい「戦後」の始まりのような空気を感じます。

今回の震災で失われた命は数万の単位になることが確実で、失われた命はもはや取り戻すことはできません。しかし、この未曾有の震災にあってなお冷静さを保ち、震災直後から、助け合い再起に踏み出そうとする強さを見せる日本人の姿は印象深いものがあります。ひとりひとりが、自分には何ができるかを省みて、あたらしい時代にむけて歯を食いしばろうとしています。私も、日本から遠く離れたところに住んではいますが、この国難にあたり何ができるかを考えている日本人のひとりです。

*   *   *

○○くんへ。たぶん、あなたの周りにいるバックパッカーたちに中に、あなたにこれを言ってくれる人はあまりいないと思うので、メールの最後にひとこと付け加えておきます。

旅を終える決断をする勇気も必要です。

もう、だらだらしない方がよいのではないでしょうか。旅で得るものも多いでしょうが、失うものの方がが大きくなる前に、決断することも必要ではないでしょうか?

*   *   *

あなたのこれからの旅路が有意義なものになりなすよう!

March 18, 2011

風邪ひいた。

(mixiの日記からの転載)

今日は仕事を休んでいます。

って、計画停電だの電車がどうの、という理由ではないですよ。アフリカですから。

カゼひきました。いつものようにノドが腫れて熱が出て、ふらふらして仕事になんないので、休み。急ぎの仕事、外せない仕事が一段落したので気が緩んだのかもしれない。

事務所に行かないとNHKも見れないし、そもそも熱でボワッとする頭にはテレビの音もつらいので、テレビはオフ。

*   *   *

地震の件、いろいろ思うところはある。それはみんな同じだと思う。大量の情報が流れているのが分かる。日本から地球半周離れた場所にいるという自分の環境から、日本にいるみなさんと違うものを見ているかもしれない。

*   *   *

こういう緊急事態だから、批判めいたことやネガティブなことは書かない、言わないと決めたんだけど、でも、ひとつだけ。

今回の地震の情報を得るのに、新聞社のニュースサイトはほとんど役に立ちませんでしたよ。見ても仕方ない。「たいへん、たいへん!」「もっとちゃんと対応しろ!」という論調の記事ばっかりで、知りたいことが分からないんだもん。

結局、インターネットの向こうにいる、科学者や、専門家や、実際に作業に携わっている人たちの意見を見て回って総合して、何がおきているのか、どのくらい危ないのか自分で考えるしかなかった。

この、もっともメディアが必要とされる時に際して、大手メディアの情報がもっとも役に立たない、ということを悟ったさ。


「頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道」

「危機的状況の中の希望」(村上龍のNYTへの寄稿)


ああ、ノド痛い。薬のんで寝ます。

March 13, 2011

東北地方太平洋沖地震

否定的な言葉を発するのはやめよう。みんな精一杯なんだ。応援しよう。

遠くにいて祈ることしかできないけれど、落ち着いたら募金に応じよう。それしかできないから。

February 26, 2011

地方分権、地域連合、連邦国家。

究極的に国家がやるべきことは、通貨、外交、国防の3つで、残りは地方政府がやればよい、ということらしいです。要はこの3つが、国家主権そのもの、これらを地方に移管したら地方はもはや地方ではなくて国家になっちゃうから、国がやるべき、というのはそのとおりなのでしょう。

しかしもうひとつ、国か地方かという議論には、規模の問題も無視できないように思うのです。適当な規模の人口というのがあるんじゃないかと思うんですよ。

ヨーロッパはEUという枠組みを作って、通貨はかなりの加盟国がユーロの採用で統一し、外交、国防も協同的に行うよう進んできてます。昨年でしたか、「EU大統領」「EU外務大臣」に相当するポストも正式に創設されましたよね。さらに、ユーロ採用のために必要な国家財政の基準を定めたり、各種の規制も統一したりしていて、産業政策のような、通貨、外交、国防以外の分野でも一部で統一されることになっています。通商関係の紛争処理について共同の裁判機構もあって、司法機能も一部が統一されているように見えます。

これって、結局のところは、EUという規模で行う方がそれぞれの国別で行うよりも効率的だから、ということなんだろうと思いますが、要は国家の主権の一部を国家よりも上部の機構で共有する構造を作っているんだと看做せますよね。

一方で、インド、ロシア、アメリカなどは、州、自治区といった地方政府の自治権の範囲が広い。州がほとんど国のような機能を持ってる。これらの国々は国土が広くて人口も多いし、それぞれの地方には特有の事情もあることだし、住民の日々の生活に密接に関わる行政の仕事は地方政府がやったほうが効率的だろうと判断されているんだと思います。

ヨーロッパは国を積み上げてEUという地域連合を作り、アメリカは国を州に分割している。EUにおいては加盟国が「州」に近い存在になり、アメリカにおいては「州」が国に近い存在になっている。

たぶん、その辺りに「適当な規模の人口」のヒントがありそうです。

通貨、産業規制、国防、広域インフラというのはきっと、「適当な規模の人口」が大きい。逆に、公共サービス、福祉、教育なんていうのは、「適当な規模の人口」がそんなに大きくない。で、電力、利水、通商政策、司法なんかはその中間だったり、内容によって人口規模が大きい方がよかったり、そうでもなかったりするような気がします。

要は、地域連合—国—州—基礎的自治体というスペクトラムの中に、「公」が行うべきこと(通貨、外交、国防、インフラ整備、公共サービス、司法、・・・)をどう当てはめるのかというのが、地方分権の問題であり、地域統合の問題なんでしょう。

*   *   *

一言、アフリカについて。

10億の人口に54の国。アフリカ連合(AU)を筆頭に、西アフリカのECOWAS、南アフリカのSADCなど、一応形式的に地域連合は存在するんだけど、ろくに機能していない。国家主権にばかりこだわっていたり国内に内紛を抱えていたりで地域連合の協議なんかできそうもない国や、「あんな国と連携してもろくなことない」と誰もが思う問題国家ばかりですからね。

開発がなかなかすっきりと離陸しないの理由の一部は、ひとつひとつの国が小さくて非効率なのに、地域連合や連携協議を通じて効率的なガバナンスを追求することができない、ということにも求められるかもしれません。まあ、それも植民地支配の残滓と言われれば、そうかもしれませんが。

February 20, 2011

ランダム再生で音楽を聴く。

今日は算数の話。

twitterでフォローしている人が、「1曲の長さが5分の曲がライブラリに1000曲あるとして、ランダム再生で一度も再生されてない曲数が10曲以下になるまで何時間かかる?」というつぶやきを流したんですよね。

私もiPodでランダム再生で毎日音楽聴いてて、なんか同じ曲が何度も出てくるような気がするし、ぜんぜん出てこない曲もあるような気がするし、いったいホントにランダムなんだろうか、どれくらい聞いてればiPodに入ってる全曲を聴けるんだろうか、と思っていたところなので、この際マジメにこの問いを解いてみることにしたんですよ。幸い、私のiPodの中に入ってる曲も約1000曲だし。

で、せっかく解いたので、私の解法をメモっておきます。間違ってたらごめんなさい。

*   *   *

簡略化のため、まず、10曲ライブラリをランダム再生して、9曲演奏されてしまうまでに何回再生すべきか、で考えてみる。

10曲を普通にn回ランダム再生した場合のパターンの数:10^n
10曲から9曲を選んでn回ランダム再生するパターンの数:C(10,9)*9^n

で、10^n > C(10,9)*9^n になるnを求めればいい。メンドクサイので等式にして10^n = C(10,9)*9^nをnについて解く。

C(10, 9)=10なので、

(中略)

n=1/(1-log9)=21.85...

まあ、確率的には22回再生すれば9曲は出現する可能性が高い、ということになるのか。

で、これを「X曲のライブラリをランダム再生して、Y曲聴き終わるためにはn回再生する必要がある。」と一般化すると、

n=log(C(X,Y))/(logX-logY)

1000曲のライブラリで990曲聴き終わるためには、

n=log(C(1000,990))/(log1000-log990)=5365.79...

(ちなみに、C(X,Y)=X!/(Y!*(X-Y)!) )

ということで、5366回くらい再生すれば、990曲は聴けると。
1曲5分とすれば、5分×5366=約18.63日。

ちなみに、1000曲全部聴こうと思ったら、要は999曲以上聴く、と考えればよいので、

n=log(C(1000,999))/(log1000-log999)=6904.3...

5分×6904.3...=23.97...日

連続24日間くらい聴いてれば、全曲聴ける可能性が高くなるんだね。そんなもんか。

・・・って、1000曲聴きたいのならば、ランダム再生せず素直に頭から順番にシークエンス再生すれば、1曲5分ならば1000曲は5000分、約3.472日あれば全部聴けるんですけどね。